1979
北海道生まれ
2003
多摩美術大学美術学部彫刻科卒業
2004
多摩美術大学大学院美術研究科入学
2005
財団法人モ−レイ育英会奨学生
多摩美術大学奨学生
【個展】
2005
(彫刻人形展)gallery j2, 東京
(彫刻人形展 弐)多摩美術大学彫刻棟ギャラリー,東京
2006 (彫刻人形展・参) ギャラリー山口
【グループ展】
2005
二人展〈石橋貴男と本柳礼文〉テアトル・デ・ソンスギャラリー,東京
“アート学生in NY”Ise Cultural Foundation Summer Festival NY Gallery, Soho-NewYork
“東京コンペ” 丸の内ビル,東京
【受賞】
“You パックアートコンペ” 特別賞 京都嵯峨芸術大学
“アート学生 in NY イセファンデーション賞 Ise Cultural Foundation, サマーフェスティバル
【その他】
NY Gallery,Soho-New Yorkと一年間の作品委託契約

・石橋貴男 展 2008年10月6日(月) - 10月11日(土)  ※ 詳細はこちら>>>

 ギャラリー山口 東京都中央区京橋 3-5-3 京栄ビル1F.B1F  03 3564 6167

 

石橋 貴男 「彫刻人形展 伍 - battle against bad infinity -」 詳細はこちら!

 2007年11月12日(月)−11月18日(日)木曜休廊(11/15) 12:00-19:00(最終日16:00まで)

 PUNCTUM Photo+Graphix Tokyo
 東京都中央区京橋1-6-6ハラダビル2F TEL 03-5250-5001

 

ZAIM -ザイム- 〈別館301〉
 横浜市中区日本大通り34 tel 045.222.7030
 ■展示名/「石橋貴男展」
 会期/7.15(日)〜7.21(土)
 時間/11:00〜20:00(初日open13:00〜、最終日close〜13:30)
 クロージングパーティ/7.20(金)19:00〜


・石橋貴男 個展 2007年3月13日(火)-18日(日) インタビューはこちら

 ギャラリーエス 東京都渋谷区神宮前5-46-13ツインエスビル 03-3407-1234

 

・2006年3月13日-18日 石橋貴男展 ISHIBASHI Takao

 

 

――タイトル名を「ナジリク」「ジャコダン」(2006年展示作品)とつけた理由は。

今回で個展は3回目になりますが、最近の制作では、日本の土地の固有名詞からとった言葉をもじって、作品のタイトル名を付けています。「ナジリク」「ジャコダン」は、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島を念頭に置いて、風刺的な意味合いを込めて、僕流にアレンジしてつけた言葉なんです。ただ、風刺的な意味合いといっても、単に政治的な社会的な状況を、クローズアップし滑稽化したいのではなく、むしろ、自分たち若い世代に向けてのメッセージといえるかもしれません。なぜ、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島などの、北方四島をクローズアップしたかといいますと、北方四島には終戦まで、日本人が住んでいましたが、旧ソ連に強制的に退去させられたため、現在では日本人は一人も住んではいないからです。北方四島の土地そのものは日本人の物ですけれども、住めない現実があります。戦争などの過去のいきさつについては、僕らの世代は、漠然としたとらえ方しかできませんけれども、実際に日本人が住めないという。事実としての認識はそこにあります。そういう現実のリアリティーに対して、自分を含めた若い世代は、余りにも無関心ではないかと思うのです。

 

 

 

――真の知に至る出発点は、無知を自覚することにある。

僕の制作に対する思いとしては、僕自身を含め、「今の若い世代の自国の文化や歴史に対する無知」がテーマの一つとしてあげられます。
僕らの世代が、日本の伝統的な文化を理解しているのかといえば、僕自身についても自覚がなく。例えば日本に対するイメージをパーセントで表すならば、日本の従来の文化の影響は2割程度。サブカルチャーの影響が8割程度を占めていると思います。
僕らの世代は、サブカルチャーの文化を、子供の時から、テレビ、漫画、アニメなどのメディアを通して、刷り込まれ、それが自然に自分の血と肉になって自分の中に内包されているのです。逆に既存の文化やカルチャーというものは、自分から学び入れていかなければなりません。ですから今の僕たちは、日本の文化とサブカルチャーのはざ間にあって、自分自身のイメージを明確に認識することが、できなくなっているような気がします。

 

――リアリティーの欠如は身体感覚の欠如かもしれません。

テクスチュアに漆ではなくカシューを使っているのは、カシューを日本の古典技法の「研ぎ出し」風に見たて、日本のアイデンティティーを中途半端に取り入れたようなイメージを、素材やテクスチュア、タイトルに反映させようと考えたからです。
サブカルチャーは自分の中では内面的な色合いが強く、自分から自主的に取り入れたカルチャーは、どちらかというと表層的なところに現れやすいといいますか。そういうリアリティーの欠如は、身体感覚の欠如として、現出しているように思うのです。

 

――FRPの素材とサブカルチャーを重ねると見えてくるもの。

元来彫刻というのは、絵画のようにイリュージョンを表出させるものではなく、物として実在感を伴って現前します。素材も、木とか石とか鉄などのような実在素材が多く使われる傾向があります。ですから、まだ歴史的にも浅い(1940年代に開発された)、中間素材というか、あいまいな印象の強化プラスチックのFRPは、受け入れづらいように思うのです。でもこの素材を使うことで、ある意味、身体の内部の分断された積層する意識を、癒合させる事ができるのではないか。漆の代用品のカシューを塗ってモノを作る。その一見キッチュな文脈から、今の自分のいる位置。強いては、日本の曖昧な「今・ここ」が、表出するのではないかと思うのです。

 

 

――個性が備わった「彫刻人形」は人間に近い存在。

彫刻の中でも、特に人体をモチーフとした彫刻というのは、どちらかというと偶像に近く、そのモノ自体に性格も個性もありません。ある種「神」的なものを内包した立体のことを彫刻というと僕は思うんですね。人形というのは個性とか性格があって、人間のイメージに近づけようとして作られたもの。彫刻というのは偶像ですから定義はないわけですけど、人形の定義は、愛玩(あいがん)するという目的や鑑賞としての目的、飾ったり触ったりする目的があります。
偶像として作品を作るのが彫刻だとするのなら、僕の作品は自分の投影なので偶像ではありません。むしろ自分の再確認なんですよ。キャラクターとして名前をつけて、個性や人格を持たせて作っています。なので「彫刻人形」と名づけました。

 

――人は闇から生まれて闇に消えていきます。僕の作品は、自分をモチーフにした立体なんです。

平面の「モブビーラ」(2006年の展示)に描いている人物の踊っている様やバックの赤い色は、煉獄(れんごく)のイメージがあるんです。幽(かす)かに見えている黒は、「闇」。人は闇から生まれて闇に消えていきます。生きていることは、ある意味煉獄(れんごく)の中に投獄されて、出口のない状況みたいなものではないでしょうか・・・。
僕の作品は、自分をモチーフにした立体ですので、自分がもがき苦しんでいる気持ちが、自然にモチーフに投影された結果、立ち上がってくるのかもしれませんね。

 

――2006年の展示は、「間テクスト空間を念頭に置いたインスタレーション」と考えています。

立体には、自分の中の思いが具体的な形となって、性格やキャラクターをもち始め、平面には、自分の中でまだ眠っている精神的なもがきだとか内省が含まれています。ただテクストを、飽くまで同時代のものとしてだけ捉(とら)えるのではなく。歴史学的テクストと癒合させたいのです。それが新しい創造を生むと考えます。
これからも「彫刻人形」のキャラクターが、神話的な世界像を構築していく過程を、追い続けていこうと思っています。