浅川洋 展 -MONADO・2005 COUNT- 
2005.7/25-30



小野画廊〈京橋〉
東京都中央区京橋3-5-4 第一吉井ビル2F TEL 03-3535-1185
11:30-19:00 http://www.geocities.jp/onogarou/


1958 山梨県生まれ/1981 武蔵野美術大学造形学部油絵科卒業
【個展】
1985 コバヤシ画廊(東京)/1987 りゅう画廊(東京)・大谷美術館主催・ギャラリーほさか(山梨)/1989 柳沢画廊(埼玉)・アルフアヒルズ・ギャラリー(山梨)/1991 ギャラリー砂翁&トモス(東京)/1992 ギャラリー砂翁&トモス(東京)/1995 ギャラリートモス(東京)/1997 ギャラリー砂翁&トモス(東京)/2001 三彩洞(山梨)/2002三彩洞(山梨)/2003 ギャラリー砂翁(東京)/2004 ギャラリー・イノセント(山梨)
【グループ展・その他】
1981-89 『試行する美術』展(山梨県立美術館)/1984-89 NEW ART展(山梨県立美術館)/1985-89西瓜糖(東京)/1988 クラコウ国際版画ビエンナーレ(ポーランド)/1989・90 ペーパーアート展(ベルリン〜バーゼル巡回)/1989〜絵画のプラクシス展(山梨県立美術館)/1990 第6回こうふ展(山梨県立美術館)・甲府市教育委員会主催/1992 新人選抜展(山梨県立美術館)・山梨県立美術館主催/1997 '97ぶどうの国の国際版画ビエンナーレ (山梨県立美術館)・県美主催/1997〜玖人展(山梨県立美術館)/2001 第16回こうふ展(甲府市総合市民会館)・甲府市教育委員会主催/2003 人展(アートセンター.コスモス)/2004 コスモス展「人を信じる心・反戦」(アートセンター・コスモス)/2005 浅川洋・安仲卓二 展(三彩洞)・「アート・レジスタンス」展(山梨県立美術館)・第20回こうふ展 (山梨県立美術館)・甲府市教育委員会主催



 私は、モナドを感じることによって「宇宙が無限に異なるスケールから成り立っていて、どんなに小さい部分にも、豊かな神の実体(あるいは神秘)がある」ということに想いを馳せます。
 そして日常生活の中でのささやかなことや、遠い場所での出来事を、自分との関係としてとらえようと思います。
 目に見えないけれども私と繋がっている存在を感じ、その中に潜むモノを作品の中に現わすことが、私の制作の一貫としてあるモノです。
このような想いを込めて、1986年からMONADOをキーワードに制作しています

 

・・・MONADOがキーワード。MONADOとは?

MONADOは哲学者のライプニッツが提唱した概念なんです。これを読んで頂ければ分かりやすいと思います。

【モナドは、『元素』、『要素』、『成分』などの単なる構造単位ではなく、精神的な意味での実体です。この宇宙全域に、絶え問なく繰り返されている『発生と終焉』、『創造と絶滅』などの生成の現場をとらえるための、ひとつの概念のようなモノです。すべて、創造された存在は、変化し続ける運命をまぬがれません。宇宙の細部にまで宿っているモナドは、単一なモノであると同時に、無限の多様性を生む、運動や変化も、合わせ持っています】
(ライプニッツ「モナドロジー」・中沢新一「雪片曲線論参照)


これは私のモノの捉え方と呼応しているんですよ。ただ、ライプニッツに傾倒しているわけではなく、自分なりの解釈としてなんです。ですから西洋形而上学的なモノを立脚点にしているというよりは、仏教の般若心経の世界にも通じるという読みですね。MONADOは、元々は宮沢賢治の詩の中に出てきた言葉なんです。その言葉に触発されて作品を制作しています。

・・・コメントにありました「豊かな神の実体」というのは?

神という言葉を使いましたが、例えば植物の発芽するパワーであるとか、種の中には、何か不思議なモノが宿っていて、それがとても神秘的に感じられたりとか・・・。 そういうモノに自分の気持ちが惹かれるので、その不思議な力をMONADOとしてとらえています。

・・・エナジーみたいなモノですね。

そうです。

・・・それと今回の数字はどう繋がるんでしょうか?

消滅していくものの数です。まず体験談からお話します。ベルリンの壁が崩壊する時にたまたまベルリンでグループ展があって、そこに居合わせました。
ブランデンブルグ門はまだ開いていませんでしたが、人々がハンマーを持って壁に穴を開けていました。壁が壊された所から東側の人達が西側に来るのを大勢の人が迎えていました。
それまで私は社会的なモノに関心のない人間だったんですけど、そこで自分もその世界の歴史の中に存在しているんだということを実感してしまって・・・。どちらかといえば日本の政治にも関心がなかったし、まして他所の国のことは自分の生活とは無関係だと思ってやり過ごしていましたから・・・。目の前に壁がある国の人達との意識の違いを強く感じました。

 ベルリンの壁はいたずら書きなどがペイントしてあったんですけど、壁の表面をカッターで削ったら、ペンキの層がばさっと剥がれたんです。その剥がれた層を見ていたら、「これはみんな人が関わって出来たモノだ。関わった人の思いがいろいろなペンキの層になってここにある」ということをとても強く実感しました。

“9・11”以降、私達は平和に過ごしているからいいけれども、何時それがどうなるか分かりませんよね。それがとても不安に思えるのです。同じ時代の空気を吸っているんだから関わりがないわけではない。でもニュースで知るそれらの情報と、自分の生活があまりにもギャップが大きすぎて、それを埋められなかったんですよ。
ですからそれを埋めるために・・・、たくさんの人が死ぬということを、単なる統計的な数字に置き換えて何も感じなくしてしまうのでなく、数字を描くことで実感しようと思ったのです。数字を消滅していくモノの数としてとらえた時に、人間の一人も林檎の1個も1という数字に置き換えられる。生きているモノはみな消滅していく。それを数字の集積として今回は作品のベースにしました。

 

・・・壁のインスタレーションと対比した形で展示してある骨の作品との関わりを教えてください。

数字ばかり描いていると虚しくなっちゃうので、何か希望的なモノが欲しいんですよね。特に今回は消滅していく数を意識しているので、いずれ自分も消えて数字になってしまうんだなぁと思うと寂しいし(笑)。
人間が消滅するというか朽ちていった時に、最後に残るのは骨かなと、その骨の中に次の世代に伝わっていくモノやDNAや思いもある。
例えば釈迦の骨(舎利)であれば信仰の中心となっていますよね。
インドで起こった仏教信仰の形が、中国、朝鮮、日本などアジアの地域に大乗仏教として広がっていったわけですから、やはり骨の存在は究極的なモノではないかと思うんです。

・・・そういえばこの壁に貼ってある数字は逆さまですね。

障子紙に墨で数字を描き込んでからハトロン紙に描いた数字を裏張りしてるんです。裏側の数字を見せているわけです。彼方へ行ってしまうという意味合いがあって、後ろ姿なんですよ。

・・・去っていってしまうものですか。

去っていくだけではなくて、たくさんのMONADOが行ったり来たりしながら循環していくさま・・・。消滅していくモノもあれば、発生していくモノある。宇宙全域に、絶え問なく繰り返されている『発生と終焉』、『創造と絶滅』などの生成の現場をとらえて、その循環の中で目には見えないけれど、そこに宿るモノを表現していきたいと思っているんです。

〜30日まで。

(c)ASAKAWA YOH