太田良一 展
2005.8/1-6



なびす画廊
東京都中央区銀座1-5-2 3F  TEL 03-3561-3544
11:30-19:00 日休 http://www.nabis-g.com/


1968千葉県生まれ
1991東京芸術大学絵画科油画専攻卒業
1993東京芸術大学大学院美術研究科修了

【個展】
1992 <意・器・Say Say Say>アートギャラリー京橋(東京)/1995 <見上げれば7837ヤードの瞼の瞬き>ギャラリー美遊(東京)/1997 <眼差しから瞬きへ>G-アートギャラリー(東京)/2000 <太田良一展>ギャラリーQS(東京)/2001 <太田良一展>なびす画廊(東京)/2003 <太田良一展>なびす画廊(東京)/2004 <太田良一展>なびす画廊(東京)/2005 <太田良一展>なびす画廊(東京)
【グループ展】
1988 <5人展>東京芸術大学学生会館(東京)/1989 <下北沢吉野荘プロジェクト>吉野荘(東京)/1990 <8人展>茨城県県立つくば美術館(茨城)/1992 <2人展>東京芸術大学学生会館(東京)・<HOMONYM展>横浜ガレリアベリーニの丘ギャラリー(神奈川)/2000 <第5回ART公募2001企画作家選出作品展>新木場SOKOギャラリー(東京)・<がてん・こむ展覧会>ギャラリー青羅(東京)



【質量のない空間から形を探る。影のない空間へと潜望鏡を出し、身体という水平線から風景を現す。人の為に機能する絵画を心がけている】


・・・DMの作品は「光汲みの棲む山」面白いタイトルですね。テーマは“風景”。技法は油絵。

油絵具の練りの感じや固まっていく状況が肌に合うんです。

・・・90年代後半は抽象画(http://www.gaden.jp/arts/ohta.html)を制作されていましたが、ここ何年かは具体的な形がある作品に移行していますね。

以前から自分のなかには、画面が多層構造を持ちながら形が形成されていく様を考えているのですけど、像に結びついてしまうのを避けたい気持ちがずっと強かったんです・・・それでいながら人が認知するような状況としての形を、具体的なイメージを排除したなかで伝えられるといいなという思いがありました。
でも今、実際に描いている「風景」は、距離や時間がテーマの部分がありまして、具体的に生活をしているなかでの距離感とかに自然と結びつくような・・より添えるような形を目指そうと思っています。

私の伝え方が以前と少し変わってきたということで「風景」に結びついたんです。

・・・ただ「風景」になると具体的な形が出て来てしまうから、多義的ではあっても画面の多層構造を提示するのが、曖昧になってしまうのではないですか。

楕円で構成される画面と、地に描いている画面との構造の二つを絞って空間を作ろうと思っているんです。

・・・何故楕円が?

最初の楕円はもっと盛りあがっていて、不定型な形だったんですが、タッチの方向で形が出来てきたんです。それを平面的にまとめていくなかで・・楕円ですと平面的にも表現できるし、両端があるので方向が作れるじゃないですか。線や地や他の部分を描いていくのとはまた違う感覚。奥行きを意識して描いていくなかで、空間をつないでいく楽しみがあるというか・・・。

所謂ものを見るというのは、クローズアップして見る場合と、全体で捉えようという意識が働く場合とで、視覚が変わってくるじゃないですか。

実際に目で見ているという外観と、脳のなかというか、内観というか・・・もう少し感情の部分であったり、形にならない部分があると思うんです。
例えば手が記憶しているとか、足が記憶しているとか、内臓が記憶しているとか、そういう身体としてスムーズななかで画面が構成されるのもいいなと・・・。
それには方法を見せるのではなくて、一見入りやすく見やすく近づきやすいアプローチをしようと思っているんです。

 

・・・確かに分かりやすいポップなイメージはありますね。

コミュニケーションを考えるうえで、まず最初の入り口としてはポップでいい。私のなかでは、分かり難くするということは、一つのポーズというか邪魔な要素として自分のなかで出来上がって来たんです。それに以前よりも画面が持ち得る力を、もっと長いスパンを耐えられるものを作り上げたい、元々絵画が持っているというか、それを言い出すとまた変わってくるかもしれませんけども、そういうものをより求めて画面を作っていこうと思っているので。

・・・ポップな要素が物語を生むという感じですね。ただそれと身体性というのはどういう結びつきがあるんでしょうか。

先ほど話しました視覚と認知の話と結びついてくるんです。線の部分だけ取り出して考えてみると、線というのは意志によって描かれていくものですから、行為の跡と実際の形象としての身体を探っていく線・・・。その描く行為のプロセスと認知のプロセスとの往還を身体性という言葉として使っています。

・・・描く行為ですか。

行為というよりも、描くタッチであったり、具体的にドリップしたりとか、そういう要素と実際きちっと塗っていくとか、塗りの工芸的な要素、それが相まってそれを含めた意味での身体性、認知との往還。以前から色んな要素を詰め込みながら構成しているんですけど、今回はオーソドックスな見え方の部分を増やしたというか。まぁ。逆に以前の方がオーソドックスな部分が多かったかもしれませんし、今の作品が新しいかどうかは別な話ですけど・・・。

・・・新しいというよりも、作品を拝見していて楽しいなと思うんですよ。一つ一つの形も楽しいし、「ボキャブラリーを探してー雲の多い日」は海のなかのような、貝殻のなかにいるような色々な要素があるじゃないですか。理屈抜きで楽しいというか。

語らずに絵は伝えられるものだと思うので、それが絵の機能だと思っています。

・・・なるほど。展示にもリズムを感じるし、作品にもポエムのようなリズミカルな響きがある。描いていて楽しいんじゃないですか。

ええそうですね。特に今年はあまり理屈を意識してませんし・・・以前描いていた線の絡み合った絵を教え子が見に来て「先生、悩んでるの?」といわれたことがあるんです(笑)。昔はまず毒を出していたというか。方法論を意識していたというか。
今年は2層構造を消化したなかで自然と画面に向かえていましたね。自分でも少し作品が整理されてきたのかなと思うんですよ。

・・・コメントに「人の為に機能する絵画を心がけている」と書いてありますが、人の為に機能する絵画とは?

コミュニケーションの一つの手段として絵が機能していくということを文章に直すと、こういう言葉になりました。もう一つは、例えば作品を買って帰ってもらって家に掛けてもらうと、生活のなかで絵が機能しているじゃないですか。表現する人間はそれぞれの役割があると思うんですけど、私の意識としては、生きていく上で・・・生活のなかで機能していく絵が作れたらいいんじゃないかと思っているんです。

〜6日まで。

(c)OHTA RYOICHI