渡辺晃一 個展  Veronica 2005 〜Life Hands〜
2005年9月27日(火)-10月8日(土)



スパンアートギャラリー 
東京都中央区銀座2-2-18西欧ビル1F TEL 03-5524-3060
11:00-19:00 http://www20.big.or.jp/~sag


1967 北海道に生まれる
1992 筑波大学大学院修士課程芸術研究科修了
1992-93 東京芸術大学大学院研究生(美術解剖学研究室)
1994 筑波大学医学専門学群にて学ぶ
2001-02 文部科学省在外派遣研究員として合衆国、連合王国に滞在
The Pennsylvania State University School of Visual Arts 客員研究員
Royal college of Art  Post Graduation
Chelsea College of Art & Design 客員研究員

現在 福島大学 人間発達文化学類 文学・芸術学系 絵画研究室 助教授

【主な作品発表】

個展
1991 『羅象』茨城県つくば美術館/1993 『媒体の肌膚』ギャラリー美遊、東京/1994 『A3・皮膜都市』( 全国6都市にて同時期開催・札幌市/PURAHA、つくば市/Creative house AKUAKU, 東京/ギャラリーアリエス,名古屋/ラブコレクションギャラリー、 京都/ギャラリー16,佐賀/ギャラリーミトヤ)/1995 『 現代のパスワード vol.1 渡辺晃一 Veronica 肌膚の厚さ・熱さ 』斎藤記念川口現代美術館/1997 「 新世代への視点'97 ・10画廊からの発言 」コバヤシ画廊, 東京/2000 『疾走する皮膚×大野一雄』川口現代美術館スタジオ、埼玉、『Life Hands』Tepco銀座館、東京 /2002 『 On The Earth 《地膚・皹皺》』Zoller gallery,ペンシルバニア、『 Flower & Family』Christ Church ,ロンドン/2003 『 Outward - In the World』Century gallery,ロンドン、『 Family&Fronter』(Christ Church,ロンドン)/2004 『うつしみ』コバヤシ画廊、東京/2005「EVE's Pore ロダンと肌膚、NUDE or NAKED」 コバヤシ画廊、東京

グループ展
1992 「今日の美術 10人の原自然」北海道立近代美術館/1994 「 現代の人間像 <わたし>という存在証明 」北海道立近代美術館/1996 「第25回 現代日本美術展」東京都美術館、「第 1回 PHILIP MORRIS ART AWARD 」スパイラル、東京/1997 「 VOCA'97 現代美術の展望 -新しい平面の作家たち 」上野の森美術館/「 ART IN TOKYO No9 <私>美術のすすめ 」板橋区立美術館 /1998 『アジアプリントアドベンチャー1998』北海道立近代美術館、『 創世記』コバヤシ画廊、東京、『胎動』INFORMUSE、東京『新世代 ‘98』福島県立美術館/1999  国際パフォーマンスフェスティバル 招待参加 (会津)/2000  「美術はなにを記録してきたか」北海道立帯広美術館/2001 『94歳・大野一雄の舞装と素顔』アートギャラリー環、東京/2002 『 Lights and Shadows』(The Pennsylvania State University )、 INSEA(New York Marriott Marquis / ニューヨーク,U.S.A/2003 『Art Amalgam』INNER SPACES、ポーランド、大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ2003(新潟県松代町 )/2004 『大野一雄展』(BankART1929/横浜)、『CRANE 国際展』古城Chevigny、フランス ブルゴーニュ/2005 『老い』福島県立博物館

【主な著書】
1998 『4本足のニワトリ』(共著)、国土社 
1999 『緑色の太陽』(共著)、国土社 
2001 『絵画の教科書』(共著/谷川渥監修、小澤基弘、渡邊晃一編著)日本文教出版社


【制作した人物】  身体の部分(利き手)を型どりした作品を37点展示。

阿部一佳(体育学者)、アラン・シールズ(美術家)/アントニー・ゴームリー(美術家)/植木昭吉(農芸家)/大野一雄(舞踏家)/小田恵蔵(陶芸家)/唐十郎(劇作家、俳優)/栗原小巻(女優)/三枝成彰(作曲家)/佐藤忠良(彫刻家)/建畠覚造(彫刻家)/田中英道(美術史)/種村季弘(独文学者)/田村勝美(歯科技工士)/デビッド・ナッシュ(彫刻家)/中垣内祐一(バレーボール)/中林忠良(版画家)/萩原美樹子(バスケット)/日野皓正(トランペット奏者)/橋本章(画家)/服部克久(ピアニスト)/羽田健太郎(音楽家)/布施英利(美術解剖学者)/ブレント・ウィルソン(芸術教育学者)/別所るみ子(舞踊家)/細江英公(写真家)/松永理絵子(新体操)/松本千代栄(舞踊学)/ミハウ・ソヴコヴィアク(ピアニスト)/宮脇理(芸術教育学)/山折哲雄(宗教学者)/山口昌男(文化人類学)/山下洋輔(ピアニスト)/吉増剛造(詩人)他(敬称略)


・・・タイトルは「Life Hands」ですが、何故「手」を型どりされたのでしょうか。

 日本では「手仕事は心の仕事。手のかたちは心のかたち」 という言葉がありますよね。「手」は顔の表情と同じように、心の動きを示しますが、それは単に手の仕草や表情だけではなく、指紋や掌紋、指や手掌の姿など、個人の持つ身体の魅力にも含まれていると思いました。「手は口ほどにものを言う」(笑)。「手」は履歴書のような言葉の表現以上に、個人の物語、メッセージを伝えていると考えたわけです。
 また、美術解剖学の研究室にいた時、私は「手」をテーマにしました。その時、調査したのは高村光太郎の『手』の彫刻でした。光太郎の『手』はこのようなポーズをしていますが、それが実際、どのぐらいの大きさで、右手か左手かご存知ですか?

・・・?

高さは38.4cm。こんなに大きいのに、多くの人は等身大位に思われています。また彼は仏像の印をふむように作ったと語っていました。施無畏印(観世音菩薩の功徳を示す印相。この印は右手の五指をそろえて伸ばし、手のひらを前に向けている形)はしかし右手でなければいけないのに、左手を作っているんです。その理由を光太郎は「施無畏印を逆にして作った」と語っているけれど、いろいろな文献を調べても、何故逆なのかがわからない。それともう一つ、この「手」のモデルは誰か。文豪の有島武郎だったようです。

・・・知りませんでした。

先日の展覧会(http://kgs-tokyo.jp/interview/2005/050831a/050831a.htm)で題材にしたロダンも「手」を作っていますよね。(おそらく彼が「手」だけの作品を作った理由は、ギリシア彫刻の「断片」や、当時盛んに制作されていた「手の型」に影響を受けたと思われます)「手」と美術作品との関わりにある様々なエピソードを調べていくうちに、私は一層、「手」のもつ魅力を感じとりました。

・・・今回展示されている「手」のモデルの方は、芸術家ばかりでなく、スポーツ界や音楽界など様々なジャンルの方たちですね。

はい。一番はじめに作ったのは、私の同級生だったバレーボール選手の中垣内さんです。大学を卒業した後、型どりしたもの。見ていただければ、はっきりと指紋や掌紋、手の大きさや指の形などがわかるでしょ。これを見て、様々な方が興味を示してくれました。光太郎やロダンのように、誰かが作ったものではなく、まさしく生きている人の「手」だから伝えられるメッセージがありますよね。
例えば今でもよく美術教育では、「手」を描いたり、彫刻したりしています。そこではポーズをつけて、手の形や陰影を再現したり、立体感、量塊の追及など、造形的な作品の意味を求めている。でも生きた人の「手」を作るということは、個人的な思い入れがある。誰を作ったか、家族か友人かでも「想い」は違うし、等身大の大きさ、利き手など、それら「手」にまつわる物語も含まれています。
ただ「手」を制作しはじめた当初、私は自分の研究テーマとしての意味合いが強かった。しかしその後、98年頃に舞踏家の大野一雄さんの「手」を型どりまして・・・。

・・・大野一雄さんですか。

そのとき、大変驚かされたんですよ。掘り起こした「手」の姿形が凄かった。思いもよらないような動き、生命力のある手型が生まれてきた。長い年月の中で培った「身体」に魅了され、虜になったのです。大野一雄さんの「手」をきっかけにして、その後も音楽家だったり、スポーツ選手だったり、彫刻家や俳優の方たちの「手」も多数、型どりはじめました。

・・・それが今回の展覧会へつながったんですね。

どんどん増えてアトリエが作品で埋まっていく(笑)。それらを一堂に会して展示したいという思いました。展示といっても、作品に個々の価格をつけて販売するのではなく、私のライフワークとして制作してきた作品の全体像を御理解いただきたい。大体5年に一度ぐらいの設定で、ご紹介していきたいと思っています。

・・・「手」との出会いは・・・どういう基準で選ばれるんですか。

基準というか・・・私の主観的な想いで、尊敬する人、憧れている人たちが対象です。自分とは違う世界を確立し、魅力を感じる人々です。そのため逆に相手から型どって欲しいと言われても、あまり制作したくない。
もう少し詳しく説明しますと、90年頃だったと思いますが、アルギン酸を使った技法を、私は歯医者さんで使われていた材料をもとに制作し、美術の展覧会場で発表しました。それを様々な方が見て、興味を抱いてくれました。あるマスコミ関係者から「ある有名人を型どりをしたい」という依頼や、フォーカスのような雑誌記者から、「ある女性タレントの型をとっている場面を撮影したい」という依頼を受けたこともあります。とても悩みました。この表現は、一歩間違えれば、様々な欲に走ってしまう恐れがあると知ったのです(実際その後、あるテレビ局で、オークションに著名人の「型」を出品し、販売する番組も始まりましたが)。
例えば劇作家で俳優の唐十郎さんや女優の栗原小巻さんの作品を制作しましたが、それを私は販売することが目的ではない。制作した「手」は、私にとって皆、同じ価値がありますし、「手」を制作する目的は、「それぞれの違う職業の方たちが残してきた手の魅力」を多くの人々と共有し、感じ取ってもらうことです。そのように商品的な価値として考えていなかったので、逆にいろいろな文化人の方たちが、私の考え方に賛同してくれたと信じています。「外では絶対にとらせないけれども、君の作品として参加するんだったら」と言って承諾して下さった方もいますし。

・・・ポーズはつけられたんですか?

私がポーズをお願いしたものではなく「どんな形の手もとれますよ」とお話して、モデルの方に自由に表現していただきました。でも結果的にその人の職業と重なってくるような手の形が多いんですよ。例えばトランペット奏者の日野皓正さんは「トランペットを吹く姿」になっていますよね。服部克久さんや三枝成彰さんは、音楽家を意識させます。芸術教育学の第一人者の宮脇理先生は「手を太陽にあてるイメージ」のようです。

・・・ゴームリ-はアントニー・ゴームリーさんの手ですね。

ゴームリーさんにも曰く付きというか面白いエピソードがありますよ。ロンドンにあるゴームリーさんのスタジオへ2001年に御招待いただき、制作の場面を見たり、インタビューをさせてもらいました。帰り際に「実は私は手のコレクションをしていて、ゴームリーさんの手も作りたいんです」とお願いしました。すると「ごめん。明日からイタリアに行くので時間がない。だから手を作らせてあげるのは無理だけれど、昨日、自分で作った手があるからそれをあげるよ」(笑)。それで頂いた手がこれ。後にも先にも、昨日、自分で手型を作ったと言う方には出会えないでしょうね。そこで今回制作した私の作品は、ゴームリーさんが作った手型を見せるよりも、ゴームリーの作品のオマージュのような形にしました。彼の「手型」の下にある台座のような箱の中には、彼の手の形が空洞になって凹型で入っています。ですからゴームリーさんだけは、ネガティブな形です。

・・・ゴームリーさんの手は、他の方々の手と比較して「量感」がありますね。

特に海外の方たちは、量感のある大きな手の持ち主が多いですね。これは彫刻家のデビッド・ナッシュさんの手です。ナッシュさんは、英国の北ウェールズにあるスタジオで作らせてもらいました。はじめにインタビューをしてから、最後に手をとらせてもらったのですが、「日本人は紳士で礼儀正しいけど、要求が多い」と言われました(笑)。

・・・ナッシュさんの台座のイメージは?

ナッシュさんの作品は、木彫のイメージを組み合わせました。ゴームリーさんやナッシュさんは素敵な手なので、そのものでも見せられるけれども、オブジェ的な要素も加えたくなったんです。

・・・会場に入ると、数多い白い石膏の「手」に一瞬たじろぎますが、表情豊かな個々の作品に引き込まれ、名前を拝見しながらまたひと回りした後には不思議な「手」の魅力を満喫している。全体と個とのバランスが絶妙で面白い展覧会ですね。

私の作品では、二つのイメージがありまして、第一印象と細部というか、インスタレーションのもつ空間全体と、個々の作品のもつイメージの両方が大切なんです。実際、「手」には、生理的な魅力、例えば指紋やシワなどの細部の持つ物理的な魅力の他に、「出会い」のもつ意味も含まれていますよね。手型をとるというのは、直接その本人に出会い、交渉をして了承を得ねばならないし、時間の制約も相手に強いるわけです。写真を撮って絵を描く場合とは違って、物理的な接触や関係みたいな問題が特に必要で、ある一定の時間や準備期間のようなものも重要です。だから、そういう一つの出会いが私の作品の大事なコンセプトになっているんです。一個一個で成り立つ造形的な要素もあるし、出会いを通してお逢いした方たちの記録としての要素もある。

・・・なるほど。不思議だなと思うのは、名前を先に見てから手の大きさを見ると、もっと大きいはずなのにというイメージもあるんですよ。実際の手とのギャップに驚かされました。そういえば以前ペンフィールドのホムンクルスの図を見たことあるんですが、ボディーイメージでは、手の占める割合がごく大きい。それだけ人間が手を頻繁に使うからなんでしょうね。

ヒトの脳の中では、身体の半分以上が「手」でしたよね。

・・・等身大以上にその人の「手」が大きく見えるというのは、その方の仕事を評価しているという部分もあるけれども、実は実体だと思い込んでいるものが、虚像であったりもするんでしょうね。

先月のコバヤシ画廊での個展の時も、型の作品と映像の大きさが、モデルとなった別所さんのイメージと違うと錯覚する方が多かった。でも実際に彼女が横に立つと同じ大きさだったでしょう?モデルの方がダンサーだったので、実際に踊っている姿をご覧になってきた方たちには、等身大の姿がイメージの中でどんどん広がっているんでしょうね。私が、今回展示した作品には、「モデルは素晴らしい仕事をされている方たちだけれども、それを作り出しているものは、私たちと同じ人間、等身大の手なんだ」ということも伝えたい。私たちは今、テレビなどの媒体、ヴァーチャルな映像を毎日見ながら生活していますよね。そういう虚像に対して、皆の意識が向いているけれども、実際に出会ったり、関わりをもたなければ、見えてこないものが結構あると思っているんです。それを皆さんに展覧会を実際に見ていただき、感じてもらいたいですね。出会いや関わりをもつということは「生きている」という実感を持つこと。それは美術の展覧会に実際に足を運ぶことの喜びにも繋がっています。今後とも私は、様々な出合いと痕跡を残していきたいと思っているんです。

10月8日(土)まで。

(C) WATANABE Koichi

 

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