北川健次 新作オブジェ展
“鏡面の詩学 ―レオン・フーコの視えない振子のために”
「硝子 ―― それは、秘匿にみちた官能の薄片である」
2005年10月17日(月)〜10月29日(土)


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ギャラリー椿
東京都中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F TEL 03-3281-7808
11:00〜18:30(最終日p.m.5:00まで) http://www.gallery-tsubaki.jp/tsubaki.html


1952年福井県生まれ。
多摩美術大学大学院美術研究科修了。

駒井哲郎に銅版画を学び、棟方志功や池田満寿夫の推逸を得て作家活動を開始。
75年現代日本美術展ブリヂストン美術館賞受賞。
76年東京国際版画ビエンナーレ展(東京国立近代美術館)
81年リュブリアナ国際版画ビエンナーレ展招待出品
89年より「箱」を主題に立体表現も展開
90年文化庁派遣芸術家在外研修員として渡欧。銅版画とオブジエの分野における第一人者的存在。
04には作家として新潮社より『「モナ・リザ」ミステリー』を刊行。版画、油彩画、オブジエの他に写真、詩、評論も手がける。
鋭い詩的感性と卓越した意匠性を駆使した作品は美術の分野において独自の位置を占めている。

【著書】
『死のある風景』(99年 新潮社、text 久世光彦)
『「モナ・リザ」ミステリー』(04年 新潮社)

【パブリックコレクション】
東京都現代美術館/ ブリヂストン美術館/神奈川県立近代美術館/栃木県立美術館/埼玉県立近代美術館/町田市立国際版画美術館/東京都美術館/福井県立美術館/広島市現代美術館/宮崎県立美術館/徳島県立近代美術館/ 和歌山県立近代美術館/大分県立芸術会館/熊本市現代美術館 他


 今年の六月中旬に三年ぶりにパリを訪れた。前回の時は拙著『「モナ・リザ」ミステリー』(新潮社)のための取材であったが、今回は昨年刊行した版画集のイメージの舞台となったパサージュ『ギャルリー・ヴェロ=ドダ』で版画集(仏語版)の展示を行う為である。「時間隧道」とも呼ばれるこのパサージュは、時間が永遠に停止してしまったような不思議な空間が直線状に続き、その両脇に規則的に配された巨大な鏡が放つ妖しいアウラを帯びた気配は、パトルス・ド・モンカンがパサージュガイドで記しているように「パリの中のヴェネツィア」という表現が相応しい。
 展示に協力してくれたのは、このパサージュ内で美術作品とシュルレアリズム関連の古書を商っているベルナール・ゴーギャン氏である。ヘルムート・ニュートンやホックニー達とも親交があるという、この研ぎ澄まされた耽美的感性の持主が語るパサージュについての内容は、主に「鏡の魔力」についてであった。鏡の不思議なイメージを多用したコクトーの映像美やルイス・キャロルのトリッキーな世界、さらには水銀が放つ甘やかで危険な死のメチエ、そして鏡面が演出して見せる時空間の迷宮・・・・。同行した通訳のK氏を交えての長い会話がパサージュの暗がりの中で果てしなく続いていった。
 翌日に訪れたのは五区にある、ルソーやゾラが眠る霊廟パンテオンである。その中で今も設置されている、レオン・フーコーが地球の自転を証明するために丸天井から吊るした巨大な振子の軌道が孤を描いてみせるシンメトリーの世界。―その不変的なベクトルの空間は、眼に映る限りの私のイメージの根源にまで通底してくる、ひとつの具現的な姿なのである。可視と不可視、語れるものと語りえぬものとの間で感覚は中吊りとなって、皮膜を破るようにオブジェへの衝動が立ち上がってくる。
 最後の日に訪れたのは、クリニャンクールの蚤の市の広大なエリアの最果てにある、訪れる人とていない、私が最も好む秘密の場所である。そこに拡がる無数に打ち捨てられた錆びた鉄製の彫刻群や巨大な鳥籠などの夥しい廃棄現場が呈してくる、圧倒的なオブジェ的光景。長い時間の堆積が醸し出すその詩的領土のありようは、私が作り出さんと希求しているオブジェの極北と限りなく重なってくる。鏡・シンメトリー・そして凝固した時間感覚・・・・。本展のタイトルになった「レオン・フーコーの視えない振子」という言葉は、パリで続けざまに享受した視覚体験の中で、自と結晶化したものなのである。


・・・ギャラリー椿では、初めての個展とお聞きしました。まずこの空間に展示を終えたご感想をお聞かせください。

展覧会は、空間と作品との共振から生まれるわけだから、コラボレーション的な要素が強いと思うんですよ。しかも今回は版画ではなくて、オブジェですから、その関係が強く出ますね。それぞれの空間を意識して制作するので、どうしても今までとは別の引き出しを開けることになる。そういう意味では今回の展示は、かなり意識的な試みであると思っています。

・・・意識的な試みと言えば、パリのパサージュ『ギャルリー・ヴェロ=ドダ』での展示空間は如何だったのでしょうか。

美意識の高い非常に厳しい空間でした。並の作品でははじかれてしまう、作品の次元の高さを強いてくる空間なんです。そのような空間で先ず「自分のはどうなのか」と自問したことからスタートしました。
そこで昨年刊行した『反対称・鏡・蝶番−夢の通路VERO-DODATを通りぬける試み』という「イメージを皮膚化する試み」の版画集三部作の完結版を展示出来たのはとても有意義なことでした。

・・・パッサージュというのはどういう場所なんですか。もう少し説明して頂けますでしょうか?

パサージュを説明するには、この文章がうってつけです。ヴァルター・ベンヤミンの、『パサージュ論』と呼ばれる覚え書きなんです。
「都心の大通りとの関連で繰り返し思い出されるのは、この大通りから入ったところにあるパサージュのことである。産業による贅沢の生んだ新しい発明であるこれらのパサージュは、いくつもの建物をぬってできている通路であり、ガラス屋根に覆われ、壁には大理石が貼られている。建物の所有者たちが、このような大冒険をやってみようと共同したのだ。光を天井から受けているこうした通路の両側には、華麗な店がいくつも並んでおり、このようなパサージュは一つの都市、いやそれどころか縮図化された一つの世界とさえなっている」
この世界の中で、展示するという事は、僕にとっては空想美術館で展示するようなものでした。版画集を作った当初、まさか実際に、そのイメージの舞台となったパサージュで展示が実現出来るとは思っていなかったんです。そこで鏡面が演出して見せる時空間の迷宮の霊的な不思議な力に導かれるように、第一級の批評眼の持主でもあるベルナール・ゴーギャン氏との出会いがあった。以前ランチを食べながらお話したように
http://www.gaden.jp/info/2001a/010926/0926.htm)「思えば叶う」何故かそういう力が僕には、今も変わらず強く備わっているように思います。

・・・なるほど。その時にパンテオン寺院にあるレオン・フーコーの巨大な振子をご覧になったのですね。

ええ。9日間の日程で行きまして、その間の時間をぬってパンテオン寺院に向かいました。そこにあるフーコーの振り子の巨大な往復運動を見ていて、元々僕の中にあったシンメトリーな感覚を煽ってきたんですよ。その時に、今回のテーマが生まれ、その後コメントにも書きましたが、クリニャンクールの蚤の市の最果てにある私が最も好む、あるゾーンに行き、凝固した時間感覚を体感したことでイメージが膨らんだんです。そのイメージが、あまりに刺激的だったので、今回制作した作品は、帰国してから一気に作り上げました。
僕はパリに13年前に半年間滞在したんですけど、不思議なことに、その時にはパンテオン寺院は、何故か避けていて行かなかったんです。もしそのときに行っていたら今回のような仕事はできなかったと思います。そう思うと・・・。

・・・不思議ですね。

そう。その荘厳で厳粛な中で静かに揺れている振子を見たら、非常に立ち上がってくるものがあった。フーコーの振り子の実験の様はまさか今も見れるとは思っていなかった分、衝撃も強かったわけです。まさにズレですね。
タイトルにつけた“鏡面の詩学 ―レオン・フーコの視えない振子のために”というのは、そういう実際の体験を含んだものなんです。
風が吹くように何かに導かれて、「気」を感じました。

・・・以前「霊性の存在は三次元では割り切れないもの。表現というのはそういうスピリッツなものとの交感じゃないか」と言われていたのを思い出しました。

僕は現在の美術状況に対して、批判もあるんだけれど、やはり作者が表現するときにインスピレーションが宿り、形が生まれるものだと思います。現代はそういう不思議な闇との交感から生まれいづるものがあまりにも少なくなっていると思いますね。それが見るということにつながり、そうするとその人間に宿ったインスピレーションはそれを超えて共有できるわけですよ。そういうバイブレーションをね。そういうものがなくなってきたんです。ですから、ヨーロッパの学芸員達に逢うと「日本の現代美術は何故画一的で幼稚なのか」と言われてしまう。
本来芸術というのは、もっと多義的で多種的なものでしょ。傾向が似てくるというのはおかしなこと、それぞれの美学を持って、個別的でいいはず。表現というのは癒しではなく、精神と存在の闇の根源と触れるような危険水域だと思うんです。

〜29日(土)まで。

(c)KITAGAWA KENJI

「モナ・リザ」ミステリー 名画の謎を追う
北川健次/著
出版社名 新潮社 (ISBN:4-10-472601-X)
発行年月 2004年12月
サイズ 188P 20cm
価格1,575円(税込)

「わが国における“モナ・リザ”論の至高点」と評された。「表現者」でなければ見えないダ・ヴィンチの闇の底に光を当てた名著。

 


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