Kaleidscopic Gallery Scene

野澤奈穂子展
2005年11月7日(月)-12日(土)



ギャラリー椿 GT2
東京都中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F TEL 03-3281-7808
10:00-18:00 日・祝休 http://www.gallery-tsubaki.jp/tsubaki.html


【個展】
1993・1998・1997 ギャラリ−なつか/1998 スタジオサンメディア/1999・2005 ギャラリ−椿GT2   

【グループ展】
1989 4人展 ギャラリ-ミハラヤ/1990 ADVENTURE IN 1990’s・全国大学版画展(買い上げ賞)・卒業制作(卒業制作賞)/1991 第5回中華民国国際版画ビエンナ−レ・ PAPIER BLANC対話 ギャルリ−ヴィヴァン・CACHET20 養清堂リフレクションG/1992 二つの視差 ア− トギャラリ−環/1993 相模原からの発色 ART PLAZA/1994 版画研究室展 ART PLAZA/1995 第2回神奈川芸術フェスティバル/1996・1997 ポストカ−ドコミュニケ−ション 銀座九美洞G・ 交差点-新人から物故作家まで- ギャラリ−ミハラヤ/1998 ELEMENTS OF WHITE CROUDS ギャラリ−銀舎/2001 企画2001 PRINT WORKS ギャラリ−なつかbp/2003 新世代の視点−小品展− ギャラリ−なつかbp/2004 「版」 ZodiacG
現在、女子美術大学講師


【版を使った表現】

 版を使った表現、所謂「版画」ですが、私の場合は従来の複数性を持った版画というより、版を1つの素材としてとらえています。つまり、量産することは基本的に考えておらず,この前提を優先するならミクストメディアと呼んだほうが近いかもしれません。1つの色ごとに1つの版をつくり,出来上がったこれらの版をひとつひとつ一枚の紙に刷り重ねていきます。ダイレクトに画面と向き合う油絵のような絵画と,版という媒体を通して間接的に立ち上がる版画。どちらも絵画という平面で、画面との対話のなかで作り上げられるものですが,意思的な表現か或いは版特有の偶然性の不思議を引き出す,というようにそれぞれの技法の特性と表現は密接にかかわってくるものです。

 ―成る―という言葉があります。例えば陶器は、出来上がった形にある思いを込めて釉薬をかけ、後を火に委ね自然の力が作用して1つの造形が出来上がります。このように自然に委ねるという姿勢は版を用いるという方法でもかなえることは可能です。それはまた、私は何を表現したいかという作品のテ−マにも繋がってきます。

 動き,光り,うつろい,枯れていく 生き物の 自然の 宿命
光の一様相である色は夜から昼へと空の色を彩り、
生き物の命のうえで変幻する
色が時系列の上で変容する

 自らのなかに刻み込まれた風景が時間を経ると,なにか芯のようなものとなって残ってきます。[版]もまた、腐蝕という過程を経て形つくられます。意志の外で自然が作用する時間があります。こうして、版という媒体を用いて現在の場と融合させ具現化すべく、版を重ね、色を重ね、時を重ね、自らの意思の及ばぬような透明な時空を探っていきたいと考えています。


・・・今回展示されている「変幻する風景」と「VanishingPoint」の作品を拝見すると、作風がだいぶ違うように感じます。

私のなかでは「版を使った表現」という設定がありますので、作風を変えているという意識はありません。それぞれの技法の特性が違っているので、違うように見えるかもしれませんね。

・・・「版を使った表現」の設定というのは?

ペインティングだどダイレクトにつくるという意識で表現するけれども、「版」はワンクッションあることによって自分の意識とは別のものが入り込んでくる。そういう間接的なところが、自分の表現したいこととリンクするのです。

・・・それはコメントでいわれている「意思的な表現か或いは版特有の偶然性の不思議を引き出す」ということですね。

ええ。「版」は自分の意志の外から働きかけてくれるというか。「自然」の力が作用してくれるのです。それにとても興味があるので、それを探って行けたらと思っています。

・・・自然の力を探るという意味合いから「Vanishing Point」というタイトルのエッチング/コラ−ジュの作品を拝見すると、自然に委ねるという姿勢をかなり強く感じます。日常のなかから、選ばれた素材「楮、パルプ、箔、雁皮、鉛、糸」を使い、肌で感じた痕跡をコラージュされているようにも思えるのです。自然というのは自らの内に生成・変化・消滅の原理を内包するもの。そこには時間というか「刻」が刻まれている。

時間は私のなかでは大きなテーマでもあります。「とき」は「時」でもあり「時間」であり「時刻」でもある。普段何気なく使っている「時間」という言葉ですが、そこには自然の移り変わりのうちにも目に見えないときの動きを感じとることができますし、植物はまさに自然の時計であるわけです。

・・・そういえばモチーフは植物ですね。

植物には、「動き,光り,うつろい,枯れていく 生き物の 自然の 宿命」などの言葉がイメージされます。それを私は「版」に刻みながら単なる記憶の断片としてだけではなく、「とき」の移り変わりが過ぎ行く時間のなかに危うくながされていかないようにとどめておきたいと思っているのです。

・・・刻み込む紙もまた植物から生成されているもの。いろいろな関係が絡み合って作品へと昇華されていくのでしょうね。

「Vanishing Point」には透視画法の消点、消尽点という意味があります。それは西洋的な解釈だけれども、私としては、逆説的に到達は無理かもしれないその場所「消点」に、もしかしたら何かがあるかもしれない、いや、実は何もないというか・・・自らの意思の及ばぬような透明な時空という意味合いを込めているのです。

・・・なるほど。そうするとこれからは?

同じような形を再現するということだけはしたくないので、版画と紙がどういうふうに融合してくるか実験的に挑戦してみたいと思っています。作品としては一つの形にまとまりにくいかもしれないけれど、そこら辺を探っていくことはとても楽しいので、チャレンジしながら制作していきたいと思っています。

〜12日(土)まで。

(c)NOZAWA NAOKO


このページについて