Kaleidscopic Gallery Scene

鵜飼容子展
2005年11月17日(木)-29日(火)



Gallery Barco
東京都葛飾区亀有3-27-27 TEL 03-3601-4121
12:00-19:00 水休 http://homepage3.nifty.com/kameari-barco/


1966 神奈川県生まれ 
1991 東京藝術大学美術学部油絵科卒業 大橋賞受賞、大和銀行買上げ 
1993 東京藝術大学大学院修了 

【主な展覧会】
1992 第21回現代日本美術展入選/1993 第19回日仏現代美術展入選・中国日本現代絵画展(北京・中国美術館)出品・銀座スルガ台画廊にて個展/1994 第37回安井賞展入選/1996 ギャラリー風(大阪)にて個展・小財堂画廊にて個展/1997 ギャラリー風(大阪)にて個展/1999 銀座スルガ台画廊にて個展/2003NICAF (国際アートフォーラム)・ Groupe Jeune Cheval 展(銀座スルガ台画廊)・ギャラリー風(大阪)にて個展/2004  韓国KIAF(ソウル)二人展(金沢・ギャラリーゆたか)他:個展グループ展多数

(鵜飼さんの作品資料はこちらからhttp://www.gaden.jp/arts/ukai.html


・・・画面のなかのしずくの形や変形パネルの形から、水のイメージを思い浮かべました。水といっても羊水のなかにいるような・・・羊水は「小宇宙であり、人類の36億年の記憶と海辺のリズム」が込められていると読んだ覚えがあります。

「揺蕩う(たゆたう)」ようなイメージなんです。足もすくっと立っているのではなくて、浮かんでいるようにしています。私の作品は、まどろみのなかにいる幸せな状態なんです。それを描きたい気持ちがあります。

・・・2000年(http://www.gaden.jp/info/2000/001030/1030b.htm)に拝見したときは、フリークの部分ばかりが目立ち、ここまで調和がとれていなかったように思います。

以前は装飾的だったのかもしれません。層も薄かったように思います。

・・・テーマは一貫していて流れは変わらないけれど。以前よりも色に深みが加わっているように思うのですが?

以前は Oil on Canvasで描いていましたが、支持体をパネルに変えて、2002年の「エル・ニーニョ・ディオス」展の頃からアクリルと日本画の岩絵具を使いはじめました。

・・・油彩かテンペラだとばかり思っていました。

油絵のぬめりが肌に合わなくて、自分に合う素材を見つけるのに15年以上かかりました。画材としてはアクリル絵具の方が肌に馴染むけれども、アクリルは色に深みが出ないので、偶然雑誌で知った岩絵具と併用してみたのです。そうしたら色に深みが出て少し納得が出来ました。私は視覚的、触覚的な表面の肌合い・・・例えば赤ん坊の肌のような質感に興味があって、あの手触りを描きたい気持ちが強いんですよ。描いている図柄は赤ん坊ではないといいながら描くときは、常に赤ん坊の肌触りを思い出しています。

・・・赤ん坊ではないというのは?

超越しているものたちということです。以前
(詳しくはhttp://www.gaden.jp/info/2002a/021121/1121.htm)もお話しましたが、「恵比寿」や「福助」のような存在を描きたいと思ったのが出発点ですから。映画監督のアレハンドロ・ホドロフスキーが最近のインタビューで「私はフリークやマイノリティーが好きだ」と言っていたんです。実は私もそうなのかなと。ただあそこまでハッキリは言えないけれど・・・。最近あの「形」につくづく魅せられていると思っています。

・・例えば「福助」であれば、その地方によって呼び名が変わるそうですが、昔は障害者が生まれると「フクゴ(福子)」「フクムシ(福虫)」「タカラゴ(宝子)」と呼び、大事にすると家が栄えるという伝承が残っているそうです。ホドロフスキーは「神聖なるものは、同時におぞましき可能性を感じさせる」と言ったけれど、鵜飼さんはその逆で「おぞましきものは、同時に神聖である」ということなのかもしれないですね。

・・・ところで変な質問ですけど「異形のものたち」は実際にデッサンできるわけではないでしょ。

そういう文献を探して写真を見て描くというか・・・お尻がひっついている作品は、昔、見せ物小屋にいた有名な双子の姉妹の写真を見て描いたのです。ただそのまま描いてはいませんから、写真は部分的なリアリティーを出す資料として使うんですよ。結構細かいディティールは気にしています。ただ毛は描きたくないんです(笑)。

・・・そうすると作品のなかの物語性は写真を見てイメージするのですか。

そうではなくて、例えば包帯を巻いている少女は、以前私が入院したときに、私のいた病室の人達が全員血液のガンだったことから描いたものです。でも説明すると違うイメージを付与してしまい、ズレが生まれてしまうような気がするんです。言葉はイメージを限定してしまいますからね。説明を加えずに、こう見えたとか。あぁ見えたとか言ってもらえると嬉しいです。だって物語は自由に読むものですから。

〜29日(火)まで。

(c)UKAI YHOUKO


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