Kaleidscopic Gallery Scene

室越健美展
2005年11月21日(月)-12月3日(土)



ギャラリー椿
東京都中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F TEL 03-3281-7808
10:00-18:00 日・祝休 http://www.gallery-tsubaki.jp/tsubaki.html

沈黙のトルソ

「唐招提寺、如来形像」人はその仏像をトルソと呼ぶ。顔と両手が痛々しく破壊されているからだ。その為だろうか、毅然と立つ仏像には仏教的な匂いがうすれていて、見る人は日本から中国、インドへと文化流入をさかのぼり、躊躇なくギリシャに導びかれる。
トルソに最初に出会ったのは学生のときだった。そして唐招提寺にはすごい仏像があるという記憶だけが残った。しばらくして図書館の写真集でトルソを見たとき、心臓がぐらっと揺さぶられる衝撃を感じ、初めて出会ったときの記憶がよみがえった。その後唐招提寺を訪れてトルソに再会したときも、やはり今まで以上に心臓が激しく揺れたのだった。破損した仏像に何故そこまで緊張して硬直してしまうのか 
 けだるい春の日、ぼくは国立博物館のショップで購入した唐招提寺の写真集を開き、トルソをながめていた。そして軽い気持ちで鉛筆を持ち、傍にある紙にトルソを描きはじめていた。流麗なフォルムは捕らえどころがなく、骨格の確信が持てなかった。こんどは写真の約4倍の紙を用意した。トルソは西洋彫刻のようには把握できない。初めて描く仏像に新鮮なおどろきを感じ始めていたぼくは、美しくもつかみどころのないシルエットにてこずりながら、いつしか真剣なまなざしで描いていた。 

だが奇妙なことに、そのとき、あたかも充実感のようなものを感じていた。それを矛盾なく自分と関わっているような充実感と言い表わしたらよいのだろうか。しかし充実感の輪郭は、いつまでたっても漠然として曖昧なままだった。やはり充実感は幻想に過ぎないのかもしれない。ぼくたちは今まで、なんの疑いもなく西洋美術の文脈上で基礎を積み上げてきたのだから。ぼくは錆びついたデッサン力に落胆しながらトルソと向きあっていた。

ふいに「この仏像は、沈黙している」と思った。

悠然と立ちつくす体ごと沈黙している。トルソは伝えたいことがあるのに、あえて黙っている。聞く耳を持たない人々を憂い、永遠に沈黙する恐怖を感じながらも、正しく受け止めてくれる日がくる可能性を捨てずに、あたかも耐えて待っているかのように。トルソは無言のメッセ−ジを投げかける。「本当に言いたいこととは何かわかる? そして、耐えて沈黙しているのは何故だかわかる?」その問いかけが、ぼくの心臓を激しくゆさぶっていたのだ。

おそらく、沈黙とは饒舌の裏返しだ。トルソは内部に、沈黙の重さと同量のメッセージを抱えこんでいるにちがいない。

はたして、沈黙の意味を理解し、問いに答えられるのか。トルソは、ぼくの中にある答えを待っているのかもしれなかった。「答えられないのなら、今はそれで良い。だれひとり答えようとする人はいなかったのだから。でも、いつか必ず答えを見つけなさい。待っているから」トルソはまるで祈るかのように、しかし強く、ぼくに問いつづけた。

2005年9月 室越健美


・・・タイトルは「沈黙のトルソ」。

今回は作品に「宙の花」と「宙の花(沈黙のトルソ)」というタイトルをつけましたが、基本的には「沈黙のトルソ」なんです。タイトル名は、いつも会場に展示した全体のatmosphereの空間を読んで決めるので、次回もこのタイトルになるかどうかはわかりません。でも花のシリーズは「異郷の花」「花の形」「宙の花」のシリーズへと繋がっています。自分の原初の核の部分にぶれはないので、ずっと繋がりを持って描き続けているのです。

・・・今回の展示空間では「宙の花」と「宙の花(沈黙のトルソ)」が、まるでフラクタルな図形のように、人体の躯幹の内なる宇宙と、それを内包する母なる宇宙とが共鳴し永遠に続くリズムを奏でる・・・それが「トルソ」という形象に集約されているように思うのです。

それはあると思います。トルソの解釈としては、巨視的な部分でも「トルソ」だし、絵画の中に内包された部分でも「トルソ」である。それこそフラクタルな関連性として結びついていると思っています。今回展示した立体の作品でも、もちろん空間観は平面と違うけれども「トルソ」は 内包されている。そういう関連性はありますね。

・・・そして単なる幻想性ではない現実性を伴った「トルソ」という明確な形象があることで、よりリアリティーを見る側は感じるのでしょうね。

自分の持っているイメージというのは、見る側にとっての解釈は自由だけれども、違う方向に解釈されるのは辛いわけですから、どこかに境界線を置くという意識はありますね。

・・・コメントにも書かれていましたが、「沈黙のトルソ」というのは、「仏様」で宜しいんですよね。沈黙という言葉の意味を少し説明していただけますでしょうか。

美術において、制作のモチベーションを考えると・・・それは「何かを伝える」ということでもいいんだけれども、そのモチベーションの実態は何かということが、日本の場合歴史的にみてもとても曖昧だと思っているんです。それを「トルソ」がぼくたちに言っている。「もの」を作っている人たちのモチベーションのありかは、どこなのかと「その辺をはっきりしないでいいの?」と、無言のメッセージを問いかけているような気がしたんです。コメントにも書きましたが、沈黙というのは饒舌の裏返しである。すごくいいたいことがあるにちがいない。それを「トルソ」を通じて自分自身に言い聞かせているんです。

・・・「トルソ」という言葉だけを抽出したときに、「トルソ」というのは、とても西欧的な概念ですよね。でも先生が描いておられる世界は、西洋に対立する概念の東洋ではなく、もっと大きく包み込むようなエネルギーというか。それを言葉に変換すると、「花であり、トルソである」その生命の奏でるリズムを描いておられるような気がします。

ぼくは美術大学で西洋画を学んでいますから、「トルソ」の言っているようなそのモチベーションをずっと考えていて、2003年に高島屋で「オマージュ展2003」を展覧しました。それは日本の古典を、単に自分の表現手段のアイテムとしてオマージュするのではなく、一旦名画、例えば「日月山水図」「仏涅槃図」「源氏物語絵巻」などに入る形をとることで、日本の古典との「厳粛な距離」を実感する試みでもありました。そしてそれは江戸以前の巨匠に平伏して「僕らは西洋画を学んでいて、きちっと日本の古典に真っ正面から向きあわなかった非礼を侘びる」つもりで描いたものなんです。

・・・それが今回のこの壁面の「雲中菩薩」に繋がるんですね。

宇治の平等院鳳凰堂中堂の母屋内側の壁に懸けならべられている52体の菩薩像を拝見したときに、とても惹かれました。ただ同じように雲の上に置かれた蓮華座に乗った仏を描くのではなく、「今」という状況のなかで「ぼくが創造するぼくのなかから出てきた形」に変換して展示してみたのです。

・・・壁面なんだけれども、果てしない空をイメージします。

背景というかキャンバスが無限大の空ということは、これ以上のことはないと思います。
何処にでも自由に羽ばたくことが出来るわけですからね。

〜12月3日(土)まで。

(c)MUROKOSHI TAKEMI



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群馬県前橋市に生まれる
東京芸術大学油画科卒業
サロン・ド・プランタン賞受
個展(みゆき画廊)、大橋賞受賞
東京芸術大学油画科大学院修了
修了作品買い上げ 明日への具象展
(日本橋高島屋)‘84年まで毎年
個展(みゆき画廊)、安井賞展(池袋西武)
太陽展、日動展、サロン・ド・アブリル展、(日動画廊)現在まで毎年
驥会(六義園画廊)‘87年まで
杜の会(梅田画廊)‘01年まで
国際形象展(三越・東邦ア−ト)‘86年まで
早稲田大学記念展(早稲田大学図書館)
仮象展(日動画廊)‘91年まで
なにわ会(梅田画廊)現在まで毎年
個展(日動画廊、名古屋日動画廊)
具象現代展(上野松坂屋)、現代の裸婦展(亀谷美術館)
TRI・TRY展(スペ−スギャラリ−)‘86年まで
個展(六義園画廊、九州岩田屋)、大橋賞基金展(芸大、高島屋)
日本青年画家展(三越)‘88年まで
具象絵画ビエンナ−レ(神奈川県立近代美術館)‘85、‘87
バ−ゼル国際ア−トフェア−(スイス)
個展(福岡日動画廊)
個展・コラ−ジュ展(六義園画廊、梅田画廊)
二人展(スペ−スギャラリ−・高橋幸彦)
現代形象展(ストライプハウス)
個展(ニュ−ヨ−ク・ハンフリ−ギャラリ−)
安井賞展(池袋西武)、秋田外旭川病院壁画製作
個展(日動画廊)、結晶体の私展(日動画廊、名古屋日動画廊)
個展・コラ−ジュ小品展(六義園画廊、梅田画廊)
アルコ・ア−トフェア−(スペイン)
個展(キャンベラ・ヒュ−ゴギャラリ−)
個展(シドニ−・エディグラステラギャラリ−)
両洋の眼・現代の絵画展(三越)現在まで毎年
現代の視角‘91(有楽町西武)
21Cへの証言(若井画廊・セントラル美術館)
オンワ−ド総合研究所ビップル−ム壁画製作
個展(型から形へ・オンワ−ドギャラリ−)
個展(スペ−スギャラリ−)                       
大和思考・想いがフォルムになる時展(近鉄ア−ト館)
個展(日動画廊)
IMA・「絵画の今日」展(新宿三越)‘93‘95‘97
現代の視角‘93(有楽町西武)、ART ASIA‘93(香港)
個展・ガラス絵(スペ−スギャラリ−)
日本秀作美術展(高島屋)、モダニズムの系譜展(高島屋)‘94‘96
第4回「タカシマヤ文化基金」新鋭作家奨励賞受賞
両洋の眼・現代の絵画展‘94〜2001
個展(いつき美術)
個展(梅田画廊、) 個展・レリ−フ(伊原田画廊)
個展(スイス・ダボス、ギャラリ−63)、連画展(高島屋)
臨海副都心トミンタワ−台場3番街住宅壁画製作
個展(スペ−スギャラリ−)、個展・小品展(和光)
個展(アムステルダム・JAN VAN DER TOGT
 MUSEUM、JAPAN FESTIVAL)
六樹会(神田画廊)以後毎年
二人展(渋谷東急、杉山惣二) 二人展(京都・正観堂、武田成功)
風をみたか展(東邦ア−ト・電通恒産画廊)‘00まで
個展(東邦アート) 連画展(高島屋)、
色と形と展(ギャラリ−江守)‘00‘01‘02
個展・小品展(和光)
個展(スペースギャラリー) 「平面―立体 その往還」展(高島屋)
タカシマヤ美術賞展(高島屋)
21世紀の目展(高島屋)、レ・キャレ展(名古屋日動画廊)
三人展(オンワードギャラリー、前本利彦、森田りえ子)
個展・オマージュ展(高島屋) 21世紀の目展(高島屋)
個展(スペースギャラリー) 個展(ギャラリーアルファ)
21世紀の目展(高島屋)
21世紀の目展(高島屋)
個展(ギャラリー椿)




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