Kaleidscopic Gallery Scene

坂本太郎展
2005年11月28日(月)-12月14日(水)



ギャラリー・アート・ポイント
東京都中央区銀座8-11-13エリザベスビルBF1 TEL 03-5537-3690
12:00-20:00(最終日17:00) 日曜休


1970 埼玉県生まれ
1988 埼玉県立伊奈学園総合高等学校 卒業
1997 愛知県立芸術大学 美術学部 美術科 彫刻専攻 卒業
1999 愛知県立芸術大学 大学院 美術研究科 彫刻専攻 終了
2000 愛知県立芸術大学 修士課程 修了

【発表歴】
1999 個展ギャラリー妙(愛知,千種)/2000 個展ギャラリーSOL(東京,早稲田)・グループ展 「WELCOME ART」(愛知,岡崎)企画展/2001 個展フタバ画廊(東京,銀座)/2002 個展フタバ画廊 (東京,銀座)/2003 グループ展「18人の立体表現」展(愛知,平針)企画展・個展小野画廊 京橋(東京,京橋)企画展・グループ展 ギャラリー安里 30周年記念展・「30代若手作家によるコラボレーション」(愛知,覚王山) 企画展・作品展示シンポジウム(東京,新宿オゾンホール)企画展/2004 個展フタバ画廊(東京,銀座)・個展 小島びじゅつ室 (東京,雪谷大塚) 企画展/2005個展 メタルアートミュージアム(千葉,印旛) 企画展・個展 ギャラリーアート ポイント(東京,銀座) 企画展
 
【受賞歴】
1997 国際瀧富士美術賞 受賞
1997 愛知県立芸術大学 美術学部 卒業制作展 桑原賞 受賞
1999 愛知県立芸術大学 大学院 修了制作展 買上げ賞 受賞
2002 愛知教育文化財団 第13回助成賞 受賞

東海学園大学       非常勤講師
名経大付属市邨高校・中学 非常勤講師


記憶と時間を遡り、その先に辿り着いた森、その中を彷徨い、邂逅したひとつの扉。もれ出てくる気配を求めて向うがわへ・・・。


・・・テーマは「In the Forest 」。
2003年に「産土〜うぶすな〜」、2004年に「心象森林図」を拝見しましたが、以前の作品には包まれるようなイメージを持った覚えがありますが、今回の作品は、向き合うというか。どんな位置からも向き合える作品。対峙する姿勢が強いように感じました。

僕の作品はその記憶を思い起こさせるためのスウィッチというか装置みたいなものなんです。ですから僕が創っているときの視点に近く立てる人は、これが自分と向き合うために存在するものとして存在してくると思うんです。

・・・向き合うために存在するもの。

2004年の「心象森林図」あたりから、自分の記憶のなかの、心のなかの森とか、時間みたいなものを強く意識し始めていて、それをどうやって自分と向いあわせるか・・・ただ記憶が一つではないように、僕は作品を制作しながら「こっちの方向に進めば、こっちもあるかな」と思うんです。僕のなかでは、作品をはっきりと区別していませんが、2パターンか3パターンあるんですよ。あるときは「心象森林図」になったり、今回は「扉」のシリーズなんですけど、あと「門」というシリーズもあるんですが、いくつかバックステップを踏みながら少しずつ・・・。

・・・枝分かれするということですか?

枝分かれではなく。例えば雪山を登るときに、深い雪のなかに体を倒おし込んでラッセルしていくように、身体で道を作り、また一歩進むような。そのやり方は幅がある程度ないと、進めないんですよ。ある意味、僕のなかには色んな方向から確かめたいという気持ちがあるし、もっとこっちからもできるんじゃないかという欲もある。

・・・「記憶を思い起こさせる」というのは、例えば木の持つ記憶と人間の持つ記憶が原形質の部分でリンクしていて、その太古に共有したであろう記憶を感じることのようにも思います。

すべてのものに命が宿っているような、万物精霊説とかアニミズム的な感覚というか、そこまで系統だってはいないけれどもそれは感じているし、2003年の「産土〜うぶすな〜」は、そういう形の表現だと思っています。今回の「扉」も地のエネルギーみたいなものの具現化でもあるんです。

・・・そのエネルギーというのは、「気」のようなもので、生き物すべてが感じていると思うけれど、人間は静かに耳をすまさないと感じないのかもしれないですね。

少し前に流行った言葉で「ガイア理論」というのがあるんです。それは地球の大気や水や土壌、表層地殻にまたがる生命圏全体が、一つの巨大な生物のように気温、海洋塩分濃度、大気ガス組成などを自己調節・維持しているとみなす考え方なんです。われわれが生きているのと同じように地球は生きている。その生命が蠢いているときの蠢動みたいなものを僕はすごく感じます。それがあるから創っているんだと思っています。

・・・蠢動というのは、生命の深層で蠢く波動みたいなものですね。作品の下に円形に置いてある石?のような、骨?のようなものは、その波動で漂い流れ着いた骸のようにも見えますね。

骨、角、爪、などの角質が自分のなかで引っ掛かっているんです。それで骨を集めてみようと思ったことがあるんですけど、骨をあそこまで白くして匂いを無くすのはとても大変なんです。それに骨の形があまりにもダイレクトすぎるから、それに似た感覚で探したのが、珊瑚なんですよ。

・・・珊瑚なんですか。

今よりも、もっと若いときであれば骨を並べることもできたんですが、歳をとって身近な人の死が少しずつ増えてきたりして、死についての自分の意識が変わったからかもしれませんね。ただ歳を経ることは、考え方は深くなるけれど、ある意味精神が段々マイルドになってしまうような気がします。そういう危機感みたいなものがあるから「今のうちにやれることをやっておこう」という気持ちになる。今の自分を見るための「鏡みたいなものを創っておかなくてはいかん。スウィッチを創らなければいかん」と。それにやっと最近になって僕の創ったスウィッチを押してくれる人が出てきたような気がしています。

・・・スウィッチを押す?

作品を見るときに、入り込んできてくれるんですよ。この「扉」のシリーズは・・・わかりやすくシンプルにいうと、向うがわとこちらがわの隔たりにある扉(とびら)みたいなもの。僕にとっては、扉を一生懸命創ってる状態ですから「開けられない。まだ向うには行けてない」わけです。でもこの作品を見て、ノブも鍵穴もないけれど「私は向うに行けるわ」という人が時々いる。それを聞いてとても救われる気がします。

・・・鏡面を覗き込むと・・・向うがわの空間は「森」であったり、遥か遠い太古の記憶であったり、進化していく過程であったり、色んなものを内部に抱えている人間であったり、それは巨大な宇宙かもしれない。エネルギーが渦を巻いているようなイメージが見えるのかもしれませんね。

ただその瞬間はわかったと思っても、その先も時間が動いているわけだし、回りも動いているから、すぐに忘れてしまうかもしれませんけどね。

・・・・・それはそうかもしれない。ただね。作品と共有した時間を持ったことで、その人が一回しかないその人の「生」に気づく。変な言い方かもしれないけど、作品を見たことで「よく噛んでご飯を食べよう。とか、ほんの少しの時間かもしれないけど、耳をすます瞬間」があるかもしれない。私は、日常のほんの些細な時間にそれが生きてくると思っているんです。忙しく過ぎていってしまえば過ぎていってしまう時間の単位のなかに、ふっと風が通りすぎるような瞬間、まぶしい日射しを感じる瞬間に還元されるんじゃないかと。いろいろな作品を創る人は多いし、どの作品もスウィッチにはなりうるだろうけれども、そのスウィッチの成り立ち方が「いかに深い眼差しで遠くを見つめることができるか」だと思います。

小学校のときに顕微鏡を使う授業をしていて、ボルボックスというのを習いました。ボルボックスは藻なんです。淡水産の代表的な植物性プランクトンで、丸のなかにまた同じ丸がいっぱいあって、それがまた弾けて出ると、またなかに大きな同じ丸がいっぱいある。それがずっと無限に続いている生き物なんですけど、あとで知ったことですが宇宙もそういう構造らしいですね。ミクロコスモスもマクロコスモスもつながっているということなんでしょうね。その「扉」は僕の作品にもつながっていると思っています。

・・・「In the Forest 」は、森のなかだけれど、珊瑚が置かれていると、海の響きにもつながって・・・。

実は次の展開として、水底のイメージが膨らみつつあるんです。早く制作したいです(笑)。

〜14日まで。

(c)SAKAMOTO TARO


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