ギャラリー椿 presents

野坂 徹夫 展
2006年1月10日(火)〜1月21日(土)

東京都中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F  TEL 03-3281-7808
a.m.11:00〜p.m.6:30(日曜・祭日休廊)
http://www.gallery-tsubaki.jp/tsubaki.html


1949年、青森県上北群野辺地町生まれ。和光大学芸術学科卒業後、79年から創作活動を始める。
1984年、バルセロナの「ホアン・ミロ国際デッサン・ドローイングコンクール」入選を機にイタリアなど国内外で個展やグループ展に出品。1988年、青森県芸術文化奨励賞受賞。紙と水彩絵の具を用い、マスキング手法を駆使して、繊細で詩精神に満ちて独自の世界を作り上げる。吉岡忍著「路上のおとぎ話」(朝日新聞社)、「シリーズ古典」全8巻(講談社)など、1998年から文芸書の表紙絵も多く手がけている。また2000年、日本テレビ「美の世界」に出演、2002年に季刊「銀花」第百三十号に特集される。

最近の主な個展は、2003年フィオレンティーン市立美術館(イタリア)、ギャラリーゴトウ(東京)2004年ギャラリー椿(東京)、ギャラリー藍倉(奈良)、2005年、ギャラリーアリア(岐阜)、松明堂ギャラリー(東京)など。グループ展も多く、2001年「紙の上の仕事?寺田コレクションよりー」展(オペラシティアートギャラリー・東京)、2003年パドベ国際アート展(パドベ市・イタリア)、思考眼展(国際芸術センター青森・青森市)、2004年山中源氏との二人展(ギャラリーゴトウ・東京)、あかりのありか展(ギャラリーNOVITA・青森)など。作品集に「水の祈り」(路上社)。青森市在住。


・・・98年から作品を拝見させていただいていますが、少しづつイメージが変わられたような印象を受けます。

それは進化といってもいいかもしれません。少しずつ自分の中で思いが深くなっているような気がします。深くなっていると同時に、精神的な意味合いを含めて、透明になっているように思います。色の透明感というのは、98年のころから比べるとそんなに変化がないかもしれませんが、内容については、深くなっていっているような気がするのです。

・・・木で作られた作品・・・確か98年には「叙情の人」、2000年には「フランチェスコの鳥」や「森の時間」など、流木を寄木のように使われた作品がたいへん印象深く心に残りました。流木というのは悠久の歳月をかけて流れつくもの。遠い記憶を内に秘めた眼差しを感じます。

2000年は木彫(流木の作品)を中心に展覧いたしました。流木に限らず、遠い昔、それこそバスク人が「アルタミラの洞窟壁画を描いたのは自分達の祖先なんだ」と言ったように(その真意の程はわからないけれども)、それぐらいずっと遡りたいという気持ちがあるんです。私の住んでる青森には三内丸山遺跡といって日本最大級の縄文集落跡があります。縄文人の誇りじゃないけれど、人間誰しもが、「自分の故郷は一体何だろう。ルーツは何だろう」と、自分のアイデンティティーを求めるものです。それは表現する者にとって大きな問題です。絵を描くということは、そういう自分の寄って立つ基盤みたいなもの・・・私には「もっと深くてもっと遠い何か」を求めたいという気持ちがあるんですよ。

・・・それは生命の記憶のようなものかもしれませんね。

それが作品にでているかどうかはわかりませんが、いつもそれを考えながら描いています。木彫は絵を描くよりも、もっとリアルにそれを探っているような気がするんです。違う種類の木材を彫って組み合わせてジョイントする寄せ木作りは、違う時代を生きてきたモノたちが、そこで結びつくというか、結婚をする。
そういう瞬間を作っていると思うととても楽しいし、続けていく原動力が生まれるんです。作品というのは作ったときの喜びが、自分の心の中にはねかえってきて、また次の新しい形が生まれていく。作る喜びはすごく大事なことだと思っています。

・・・作品を拝見していると、音楽が聞こえてくるようなイメージを持つのですが、私は谷川俊太郎さんの詩集にあった「みみをすます」という詩を思い出しました。
作品の中にとても静かな、耳をすませなければ聞こえてこないような音を感じるんです。例えばそれは風の音だったり、雨の降る瞬間の音だったり、日常生活の中にはそんなピュアな音が流れているんだけれども、耳をすまさないと聞こえてこない。その音を描いてらっしゃる様な気が致しました。

私自身の作品を見て音楽を感じる方がいるかもしれませんけれども、私自身が絵を描いていて頭の中に、音楽を流しながら描くということはないのです。むしろ虫の音や鳥の鳴き声とか風の音。そういった自然のナチュラルサウンドが、自分の内面の奥深い声と響きあう。そういう声にならない声・・・それは嘆きやつぶやきであったり、呼吸をする音だったり。それが最小限「生きてある音」に辿りつくような気がします。

・・・耳をすますと聞こえてくる何気ない音が、生命を喚起させるんでしょうね。

谷川俊太郎さんは、例えば瞬きする音とか、血管を血が流れる音、心臓の鼓動と顔をたどる指、などといった五感に関する感受性が鋭い方だから、それを言葉にして豊かな詩の世界をつくっていらっしゃるんだと思いますね。

・・・野坂さんご自身も詩を書いていらして。

詩は難しいですよ。エッセイはときどき書いています。二月に季刊誌「銀花」の「手をめぐる四百字」(手仕事をされる方を特集した)に手書きの原稿が掲載されるんです。

・・・作品は手と目と身体を使って表現するもの。身体性云々というと難しくなってしまう。私が段々歳をとってきたせいかもしれませんけど・・・むしろシンプルに「ひらがな」で通じるような事柄が最近心に染みてきます。

私もそう思います。難しい詩は嫌いなんです。誰でもすっと入っていけるような、生活している人たちが共感できるものがいいなと思う。私の描いているものは、絵そのものが詩なので、タイトルをつけることは楽しいし、絵の中に入っていく入り口のようにつけているんですけど、付録みたいなものなんです。あまりタイトルにこだわらないでご覧になる方もいるでしょうし、絵とタイトルの距離を測りながら楽しまれる方もいるでしょうが、私自身は、絵で完結している部分があるんですよ。

・・・作品は水彩で描かれていますが、何かこだわりがあるのでしょうか。

紙に水が染みて、絵の具が染みて、かすかに定着していく。そういう儚さがいいのかもしれません。それが自分にあっている。

・・・色が心に染みていくようですね。

ジャズの「煙が目に染みる」じゃないけれど、色が心に染みて、泣きたくなるような絵が描きたいですね。段々歳をとってくると、涙腺がゆるむことが多くなりました。色んなことが積もり積もってここまで来たわけだから・・・。
若いころと違ったじわっと心に染みる涙は、自然ですよね。これからも自然体で生きていきたいと思っています。

〜21日(土)まで。

(c)NOZAKA TETSUO