ギャラリー川船 presents

無限のスキマ 鳥井林太朗展
2006年2月20日(月) - 3月11日(土) 



東京都中央区京橋3-3-4 フジビルB1F Tel: 03-3245-8600 Fax:03-3245-8600
11:00-19:00 日・祭日休廊 http://www.kgs-tokyo.jp/kawafune.html
mail to kawafune@diamond.broba.cc

・・・タイトルは「無限のスキマ」

スキマというのは、物と物との間とか境とかを意味しているんですけれども、自分にとっては、数枚のキャンバスを合わせて、スキマを作ることで、イメージが切られていくことに興味をもちました。それを利用して二つのキャンパスの空間の差異とか、時間の差異とかを作って全体を構成するという作品を制作しています。

・・・空間と時間の差異ですか。

自分は、俳句に興味があって例えば上の句と下の句の間にある「切れ字」といって、1句として意味を完結させるために、修辞的に言い切る形をとる語があるんですが、例えば「古池や蛙飛び込む水の音」の「や」、「秋の来る道つくるらん田草取り」の「らん」の類なんですけど。「切る事によって繋がる」その切れ字の役割をキャンバスの境に担わせているというか。基本的に、ぶった切れるのは、空間じゃないですか。空間的連続体を切ることによって無限に続く時間を超越させることができるのではないかと思ったんです。ただ最初からパネルは切っていましたが、「切れ字」に関しては制作していくうちに「なるほどこういうことか」と気がつき始めたんです。

・・・例えばフラットな画面の中に切る行為があったとしても、切っているようには見えませんね。人間は、実際に切らないと認知できないから、パネルを繋げないと認識できないでしょうね。

マスキングして、切ったように見せかけても駄目なんですよ。マチエール自体が切れてなければ駄目だと思います。

・・・作品を拝見していると物語性をかなり感じます。

ある意味舞台というかね。ただ、はじめから物語があるのではなくて、描いてゆくうちに生まれてくる。かなり時間をかけないと、出来上がらない作品なので、描いたり消したりしているうちに、ストーリーができてしまうんです。

・・・舞台と言われましたが、目の動きをかなり意識されて制作されているのではないですか。

僕は演劇出身なので、舞台といいましたが、美術的に言えば、次々と変化する画面を見せる絵巻物のように時間を追って見せながら、空間の展開を考えていると言えばいいのかもしれませんね。例えばブレイクダンスには、左右に広げた手を、あたかも右から左、左から右へと波が通るように見せるハンド ウェーブという手法があるんですけど、目線を意識して誘導しているわけです。自分にとっては、半分無意識の部分もあるんですけれど、一応それを頭に入れて構成しています。でもぶった切って隠れている部分だけを取り上げられると、表面的で、トリッキーな感じに見られてしまうので、それは本意ではないですね。

・・・作家が意図するしないにかかわらず、分断している部分は、むしろイメージをつなげるための空間なのではないかと思うんですよ。例えば人間の目は視野が欠けても脳がその部分を補足し、実際は見えていないのに、見えてるように感じるらしいし、片手や片足が無くなっても、あるように感じたりとか、身体の欠けた部分を、脳があると感じればあることになってしまう。ですから分断された部分は、ある意味、見る方に委ねられる。それぞれの脳がそれぞれのイマジネーションを生起させるのではないかとも思うのです。

そういう解釈はできるかもしれないですね。確かにイメージを与えたからといって、そのイメージ通りに受け取るかどうかということはないと思います。例えば絵は神秘だといって、神様がいるようなイメージの絵を描いても、そのイメージでは神秘そのものに迫れるわけではないし、それでは説明的になってしまう。光に満ちあふれているような 絵を描きたいと思ったときには、何らかの工夫をしなければいけない、その仕掛けの一つとして、自分にはイメージを切るということがあったんです。それを「無限のスキマ」と名付けて展示したということです。

・・・今回展示されているコラージュの作品やドローイングとの関連を、少し説明して頂けますか。

コラージュはイメージの差異というか。基本的に何も考えずにデッサンをし切り抜いてコラージュするので、イメージとイメージの「スキマ」と言えるかもしれません。ドローイングも切り抜いたような感じがあると思うんですけど、「スキマ」と関連があるのかといえば、まだ模索中としか言えません。直接的にはかかわっていないかもしれないとも思っています。
作品の内容は、以前よりもだいぶ変わってきているんです。今回使った「スキマ」は自分にとって以前は、絶対的な手段だったのですが、今は相対化されて「一つの仕掛けにすぎない」という気持ちに段々なってきています。今、描いている作品はもっとイメージで遊んでみようという気持ちがあって、それで今回のドローイングが表出してきたんです。今年は中国と韓国のアートフェアーにも参加するので、もっと色を多用して瞑想的で激しいものを、以前のイメージが壊れていくような作品にも挑戦したいと思っています。

〜3月11日(土)まで。

(c)Lyntalo TORII


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