Kaleidscopic Gallery Scene

袴田京太朗展
2006年3月13日(月)-25日(土)



コバヤシ画廊企画室
東京都中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1F
TEL 03-3561-0515 11:30-19:00 日曜休
お問い合わせはコバヤシ画廊企画室まで。

・・・タイトルは「1000層」。線が積層しているということでつけられたのでしょうか。

日本語で「千」というのは、数が多いという意味がありますよね。とにかくたくさん重ねたところから作品が始まっている、ということがまずあります。今回展示した一番長い作品は3mくらいの長さが必要でした。アクリル板が3mmですので、単純に計算しても1000枚重ねなければいけなくて、実際この作品では 1000枚以上重なっているんですよ。

・・・今回の作品はアクリル板に色を塗られたものを重ねられたのでしょうか。

既成の色がついたアクリル板を重ねて削っていく手法なんです。極めて表層的な素材感を持つ彫刻かもしれませんね。

・・・以前からベニヤ板、FRP、メッキ鋼板などの素材を使われていらっしゃいますが、素材に対してのこだわりはどうでしょう。

こだわりというよりも、工業製品というか。一回商品となってしまったものの方が使いやすいということはありますね。最近は直接木を彫ったり多少するんですけど、基本的に使用している素材は、「既製品のようなもの」を好んでいます。工業製品は新しい素材なので、あまり背負っているものがないというか。こちらが対等につきあえるもの。歴史も何も背負っていない状態でつきあえる。そういう理由から素材を選ぶことは結構多いですね。

・・・積層という言葉のイメージは、時間や記憶が積み重なってきたものとを捉えることが出来るのではないかと思うのですが・・・。

そこまで踏み込んだ感覚ではなくて僕はもっと表層的に積層というものを捕らえています。タイトルが展覧会のすべての作品を象徴しているわけではないのですけれど、板を積層することを繰り返すことで全然違うものが出てくるというか、単純に板を積み重ねることを繰り返すことで、それ自体が勝手に得体の知れないものに変わっていく、そういう感覚です。

・・・今回展示された作品は、耳とか人物とか具体的なかたちですが、最初に意図したものは?

一つの器というか。「耳とか人間とか」そういう器を使って、何かを表現するということです。ですから、耳を表現したいというわけではなくて耳は仮のかたちということなんです。
実際の制作段階の事をいえば、アクリル板は板の状態であれば板の面を見ますよね。こういう板の断面のエッジの部分というのはあまり人が意識していない部分です。でも断面を重ねることによって一つの形になってくる。過剰な表面のストライプは、彫刻本来のかたちを見えづらくさせていますが、それらは1枚1枚板を積み上げた構造の結果です。ある種ボリュームになってくる感じなので、アクリル板を敢えて細い線として一回還元して、重ねることによってもう一回ボリュームを立ち上げる。そういう感じです。

・・・作品は作家の世界の見方だと思うんです。表現者というのは、世界をこうだと規定するのではなく、相対的に捉えることによって、新しい何かを発見していく。「見えないものと見えるものをつなぐ」それが根底に流れているように思うんです。以前の作品と比べると、かなり具象的になっているように思うんですけれども何かきっかけがあったのでしょうか。

特に抽象から具象へ変えようというつもりはあまりなかったのです。むしろずっと「彫刻的なるもの」からの距離を探りながら制作を進めてきました。ある時期になって丸とか円錐形のような幾何学的なかたちを好んで使うことが多くなって、それがハッキリ丸とか円錐だとかわかるかたちでしたので、それならいわゆる具象的なかたち(そのときは動物や人のかたちでしたが)をつかっても、そんなに違和感はないのではないと思いました。いやむしろ「丸」と「人間」をあえて同じレベルで扱ってしまいたいというような、意識的な選択だったかもしれません。特に今回のアクリル板を重ねるこの手法は、素材がかたちを消してしまうようなところがあるので、今まで敬遠してつくれなかったものまで平気でつくれるような気がしています。

・・・ただ見る側というのは、耳のかたちがあれば、耳の持っている属性に囚われる部分があるのではないですか。意味性を喚起させるもの見いだそうとするそれが人間の特性だと思うんです。提示されたものは耳のかたちをしたもの、でもやっぱり耳は耳に見えるような気がします。

最初は誤解でもいいと思うんです。こちら側がまず1歩踏み込んで、耳ですよと。
耳という共通認識というか基準があれば、最初は多少違和感があると思うんですけれど、作品を見ているうちに、作品の構造が見えてきたり、色が見えてきたりしてくる。そうすると最初に、自分が思っていた耳という印象が変わってくればいいかなと思うんです。最初から門前ばらいで入って来れないよりは、共通認識が一つあって、そこで一回入ってきてもらって、それでこちらが何をやろうとしているかということを言えればいいかなと。だから逆にいえばそれは具象的なかたちに限らない。印象的なかたちや刺激的な素材感があれば抽象的かたちでも構わないのかもしれません。

・・・以前からの作品の流れを拝見していると、作品と見る側のある程度の距離の間合いを図ってらっしゃるのかと思っていました。でも今回は印象が違って、かなり入り込めるような気がします。

自分ではいつも入口の作り方を意識しています。例えばぼくの以前の作品のなかで日用品を使ったものがあるんですが、そういうものが作品の中にあれば見る側は何故ここにこれが使われているんだろうと疑問に思い、それで一回距離が縮まるじゃないですか。それが入口になったりすることもあると思うので、それで「人、耳」など誰でも知ってるようなかたちが入口としてあるという感じですね。

・・・ところで今回の展示の配置は、縦と横の線がある秩序を持って飾られているように思いますが、その部分はかなり意識されているのでしょうか。

最初に考えていた展示プランとは、展示している途中から変わったので、そんなに意識的ではないのですが、構造としては縦に積んでいくパターンと、横に積んでいくパターン、奥にいくパターンと水平垂直で考えるとだいたい3通り、それを今回試みているというか。実はアクリル板のこの手法での制作はまだ1年位なんです。探りながらやっているという感じなので、まだ試行錯誤の状態です。

・・・無数のカラフルなストライプの色に幻惑を感じます。

隣り合う色が何が来るかによって、色がすごく違って見えるんですよ。だいたい全体的に使っている色は10色くらい。壁に立てかけてある棒状の作品以外は、綿密に考えているんですけれど、棒状の作品はかなりその場でランダムに一瞬で決めています。だからルール違反を結構たくさんやっていて、同じ色が何色も重なったりとか濃い色同士がいくつも重なったりとかしているんですけれど、カラーのアクリル板って白が隣りに来るとクリアーに見えるんですね。でも棒状の作品は、勘で全部積んでいこうという感じにしたら、意外と不思議な中間色がいっぱい出てきて、耳や人などの作品とは違って見えるのではないかと思います。

・・・有機的に見えますね。具象的な作品の方が秩序だって見えて、棒状のかたちは、無機的なんだけれど、有機的に見えるように思います。壁に耳が展示されているというのもおもしろいですね。三木富雄さんを思い出します。

日本人の彫刻家であればとにかく耳だけは作ってはいけない、というタブーになってるところがあって(笑)。僕の記憶では、三木富雄以外に、耳の彫刻を作っている人は知らないんですけど、・・・。作品をつくるモチベーションとして「やりたいこと」と「やってはいけないこと」があるとして、日常的な感覚の延長に「やりたい」という感覚はあって「やりたいけどやってはいけない」というものってなにか常識的な判断や論理を突き抜けていくようなところがあると思うんです。僕はずっとそういうところからきっかけを探してきて、耳もそういうモチーフです。まあ細かくいえば正面生が強いレリーフ状の構造をこの手法の見せ方に利用したいとか、基本構造さえ押さえれば意外と自由度の高いモチーフだ、とかいろいろありますけど。
それと元々僕の作品はネガティブかたちをよく使っていて、有機的で突出しているんだけど中に入っていくかたちで底なしの穴を持っているということを考えれば、構造的に耳に似ている作品が多かったんです。もし三木富雄が耳を作っていなかったら、もっと早くから耳を作っていたのではないかと思っています。でも今回はアクリル板を重ねるというこの手法が強いので敢えて強く主張するモチーフをぶつけたいという気持ちもありました。

・・・これからの展開はどのように考えていらっしゃいますか。

素材としてはもう少しアクリル板の仕事はやろうと思っています。今まで僕は素材を結構変えるやり方をしていて、そのことは僕にとっては重要なことなんです。だからアクリル板の仕事はアイデアがいくつかあるのでしばらく続けるとは思いますが、他の素材と同時進行にしていきたいですね。これからもいろいろな素材をできるだけ複合的に使っていきたいと思っています。ネガティブなかたちやつくることで消えてしまうような構造というのは、これまでずっとやってきたことなので、これからも変わらずやっていくだろうと思います。

〜25日(土)まで。

(c)HAKAMATA KYOTARO


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