Kaleidscopic Gallery Scene

前野智彦展
2006年3月13日(月)-18日(土)



ギャラリー椿
東京都中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F TEL 03-3281-7808
10:00-18:00 日・祝休 http://kgs-tokyo.jp/tsubaki.html


1977 広島生まれ
2002 多摩美術大学絵画科版画専攻卒業
2004 同大学大学院美術研究科絵画専攻修了
現在 同大学絵画科版画研究室 副手

【画歴】
2000 広島の美術(広島現代美術館)
2001 東京ワンダーウォール(東京現代美術館)東京ワンダーウォール賞受賞
2002 東京都庁舎回廊にて個展(新宿)
2003 全国大学版画展(町田国際版画美術館)買い上げ賞受賞
2004 東京ワンダーウォールの作家達展(東京現代美術館)
2004 三田健志との共同プロジェクト 壁画制作(横浜労災病院)
2005 ギャラリー椿2にて個展(銀座)
2005 第三回山本鼎版画大賞展 (上田市) 佳賞
2005 東京国際ミニプリントトリエンナーレ(多摩美術大学美術館)
その他グループ展多数

【主な収蔵先】
町田国際版画美術館(東京)・多摩美術大学版画研究室(東京)・多摩美術大学美術館(東京)・雪梁舎美術館(新潟)・シルパコーン大学(タイ/バンコク)・台湾師範大学(台湾)


【コメント】
  ガラスケース内の鉄粉が、1分おきに励起する運動を反復し続けます。それは島が最初の運動において想像され熟考をされる「隔絶」と「創造」、この二つの運動を反復し続ける動体であり、月と結んだ水、或いはカタストロフィーとの連関により、沈んだり隆起する運動を反復する。不定形で決定不可能な「島」の仕草の盗用です。


・・・立体の作品のタイトルは「反復する鉄の動体/記憶する鉄のスツール」。タイトルの間に「/」があるのは、「反復する鉄の動体」という作品と四方に設置されたスツール(腰掛け)で一つのセットになっているということでしょうか。スツールが設置されているということは、鑑賞者の存在を暗に示し、鑑賞者が参加する手続きを踏む事によって作品が成立ということですね。

このタイトルは、セパレートされていますがひとつの言葉として提示しています。「島」について、「島」の運動を反復するものなんです。

    

・・・「島」ですか?

僕の「島」についての考察は、批評空間2002−4(「無人島と砂漠」ジル・ドゥルーズ「無人島その原因と理由」から出発して)國分功一郎著から派生しています。ドゥルーズ読解に捉え書かれた論文なのですが、このなかで、地理学的見解として、島が〈陸島〉と〈洋島〉の2種に分けて検証しています。「洋島」というのは、火山の噴火、あるいはサンゴが盛り上がり自ら水面上に姿を現した島、創造的な島を示し、「陸島」というのは、大陸の水位が上がって大陸から隔絶されてしまった島、隔絶的な島を示しています。又、続けて「大陸から隔絶されているものは、もはや島ではない。島の上にいて、自分が世界から隔絶されていると感じるものは、人間であり、そこに世界を再創造するのは、人間である」と。
要約することはできませんが「島が想像力を喚起させる。島は想像力を膨らませる情報である。島を考える想像力は、その運動自体、「島」が自らの生成に関する二重の運動を反復している。島で行われるものは再創造であり、その運動を反復する動的シミュラークルである」ということができるかもしれません。又、その論文から容易に導き出す事ができる、沈んだり隆起する、つまり絶えず生成し続ける、不定形で決定不可能なものとしての「島」です。國分さんに展覧会場でお会いし、言葉とは違う側面から「島」を捉えることについて話をしました。とても充実した時間でした。
「島というのを考えうるということはどういうことなのか」大陸から投げかけられたその問いを受けて、僕は島の上から、言葉で語るのではなくて、美術として形を与えられたらと考えました。また、僕の美術はそのようなものではないかと。

・・・それは〈島〉という概念を絶えず無化して考えながら、想像力を反復しつつ喚起し続けるということなんでしょうか。ただ鑑賞者というのは、作品全てを同一の視線で見ているのではなく。同じ文化の網目の中に存在してはいても、それぞれの社会的な状況や環境の違いで差異が生じている。単純な言い方で申し訳ないですが、例えば鉄粉が磁石に反応して1分おきに起立しサボテンのトゲが立ったような状態になると、「あれっ」と思う。その「あれっ」という驚きの部分が鑑賞者の身体性に働きかけ、それがきっかけになって、何かが表出する。その何かというのは、記憶のようなものかもしれない。記憶は一瞬のスナップショット。そして記憶は、砂のように消えていくもの。そういう感覚装置として機能しているのではないかと思いました。

今僕が話した島に関するこれらは、言葉ですが、、それを運動として絶えず無化して考えなおすこと、反復することが重要だと思っています。提示されたものを、言葉に縛りつけておくつもりはないんです。そこからどれだけ自由に逃げられるかというのが、また一つの課題となって物事が進んでいく、生成し続けていくと思うのです。

・・・今回展示された版画(untitle)とこの装置はどういう関係にあるのでしょうか。

版画の作品も、「島」あるいは、「反復」から派生しています。同じ版を使って、同じ大きさのカプセルを使用し、それに圧力を加え生まれた形を見つめています。カプセルの弾けた部分は、作家の作為的、意識的な形を体言していません。

・・・カプセルの中にインクが入っているんですか。

インクは使っていません。カプセルの中に異なった色の顔料を何層にもわたって詰めて、それをプレス機に通しています。又、表出した形に鉛筆で、ラインをつけているんですけど、それは偶然に表出した恣意的な形を見つめる仕草なんです。

・・・線ひとつにも身体的な意味合いがあり、描き手のアイデンティティーが表出するわけですから、自分の身体により接近させるための行為ということですね。

はい。もちろん出発点の形は意図的なところからもれていますが、どこまでも意図的でないものが美術として成立するのかといえば僕はそうでは無いと思うんです。提示するということを考えないといけない、つまりどこかで決断を下す。それは、決定不可能なものを、いかに決定のなかに組み込むかという問題にも繋がっている気がします。そういうことで生まれてきたものがこの線なんです。

・・・そうするとこの手法は版画といってもモノタイプですね。

僕はずっと版画を制作していますが、「版画とは何か」といろいろ考えています。今の僕にとっては、プレス機の圧力なんです。それは、僕が版画を考えているうちで、残ったものかもしれません。自分がびっくりするような自分ではできないものが、プレス機にはある気がします。1トンの圧力がかかって、紙も絵具も一つの物質として現れる。それを見つめてみようと思ったんです。

・・・1トンの圧力をかけなければできない形を探るということですね。圧力というのは、ある意味エネルギーのことではないかと思います。立体の作品と版画の作品の共通項はエネルギーの転換。エネルギーというのは人知を超えたもの。それをどのように取り入れられるかが、作家の資質を問われる部分ではないかと思いますね。

作家はもちろんなんですが、さらにそれは個々人が多分導き出す問題でもあると思うんです。dmにも寄せましたが、島の上に組まれた空間に身を置いて、個々人の想像力を「島」の方へと接続させて頂けたら幸いです。

(c)MAENO TOMOHIKO


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