樋口健彦 展

2006年11月7日(火) - 11月25日(土) 

ギャラリー川船

東京都中央区京橋3-3-4 フジビルB1F

Tel: 03-3245-8600

Fax:03-3245-8600

11:00-19:00 日・祭日休廊

--関連情報--

・樋口健彦 展 2006年

略歴
1966 福岡県に生れる
1990 大阪芸術大学芸術学部卒業
1992 多摩美術大学陶芸専攻研究生終了
1993 「Artists in Residence Program」TAMAライフ21協会(東京)
1999 「Asian Artists Fellowship」Vermont Studio Center,U.S.A.
2003 東京国際フォーラム「器用な創造者達vol.1建築家の器」展(企画、制作)
個展
1994 コバヤシ画廊(東京)
1996 INAXガレリアセラミカ(東京)ギャラリー川船(東京)STUDIO錦糸町(東京)
1998 コバヤシ画廊企画室(東京)
1999 ギャラリー川船(東京)
2000 ギャラリー目黒(三重)
2002 ギャラリー川船(東京)
2004 ギャラリー三条(京都)
2005 ギャラリー川船(東京)
2006 アートインタラクティブTOKYO(東京)
グループ展
1990 「箱根」二ノ宮美術館(大分)
1991 「第20回記念長三賞陶芸展」奨励賞 麻布美術工芸館(東京)・常滑市民会館(愛知)
1992 「大阪彫刻トリエンナーレ」マイドームおおさか(大阪)
1994 「TAMA ART STUDIO展」町田市民ホール(東京)
1996 「Conteporary Ceramics '96」Galerie Art Present(Paris)
2000 「フィリップモリスアートアワード2000」恵比寿ガーデンルーム(東京)
「They are Square,but Not too Formal」Robert Pardo Gallery(N.Y.)
「神奈川アートアニュアル2000」神奈川県民ホールギャラリー(神奈川)
2004 「Korean International Art FairJ [ギャラリー川船](ソウル)
2005 「Korean International Art Fair」[ギャラリー川船](ソウル)
「北京大山市国際芸術祭」(北京)
コレクション
アルゼンチン近代美術館日本の家(アルゼンチン共和国)
TAMAアートスタジオ町田(東京)
株式会社INAX (東京)
Robert Pardo Gallery (ニューヨーク)
照寿司 群馬
パブリック
東京都町田市立博物館
立教大学付属中学高等学校音楽ホール
JRA新潟競馬場馬主フロア
JALシティホテル宮崎
ラフォーレ新大阪
ホテルCLASKA 東京目黒区
パルシオ五番町 東京千代田区
ニチコン本社ビル正面ロビー 京都
ホテルニューオータニ石心亭 東京千代田区
二期倶楽部 那須

 

・・・矩形の作品のタイトルは「Real Number」、球形の作品のタイトルは?

矩形の作品は通しで「Real Number」とつけています。球形の作品は無題です。

・・・黒い沈黙の闇の中に、生命が内包されているようにも見えるのですが・・・。

無責任な意味ではないですが、どのようにも解釈していただいても良いと思います。

・・・見る人間の身の置き所によって変わる多義的な要素があるということですね。ただ、(視覚は触覚と呼応しているから)見たイメージというのはかなり軽い感じを受けますが、実はものすごく重いのではないでしょうか。

球形の作品一つで約50kgぐらいですね。柔らかそうで固い、固そうで柔らかい。その矛盾というか。例えば強そうで弱いとか。常に逆さ言葉のような状況が起こって、それは人でもそうですし食べ物でもそうですけれども、僕は相互に矛盾し対立しているのが好きみたいです。

・・・球形の作品は「無題」と言われましたが、名前(タイトル)をつけることによって、そういうものとして認識してしまいますよね。でも、ものというのは、人が名前をつけただけであって、実際にはどんなものでも(指し示すだけの)一つの言葉では言い切れない。ある意味ゆらぎながら存在している。ただ便宜上指し示す言葉がなければ、社会は成り立たないわけですけれど・・・。

言葉でいうととても難しいのですが、「そうだ」と切ってしまえば、次の作品のネックになるので、できるだけ自身で言い切らないように・・・そういう制御装置が働いているのではないかなと思ったりもしますね。

・・・視覚を欺くという言葉が適切かどうかわかりませんが、作品を拝見していると、見る側は気持ち良く欺かれているように思います。

騙されて気持ちいいというか。そういうのはあるかもしれませんね。僕の場合、芸術に接したときに一番思うのは騙されてよかった。そういうことに遭遇したときに、とても幸せな気持ちになるので、そこまで大仰にならずとも、何かそういうニュアンスを自分の仕事の中で、自分の仕事を見てくれた人に、そういう感情をもってもらえたら、感覚的には報われるかなという気はしますね。

・・・この黒い色は焼成しなければ出ない色だと思うのですが・・・。

焼くというよりも焦がすのですが、僕は素材に陶や土を使っています。はじめは黒いものを創りたいと思っていまして、焼物の釉薬だとか、金属の酸化物を塗り付けて焼いたりとか、ラッカーや人口の漆を使って焼いてみたりとかしたんですが、どうにも自分の思っている黒が出なくて、あるとき墨を使ってみようと思いまして、でも墨は濡れているときは漆黒なんですけど、乾くと茶色になってしまうんですよ。それでバーナーで焦がしてみて、やっと思うような色になってきました。ただ黒というのは色ではない。光を完全に跳ね返さない状況をつくるということ。物理的にいうと、光を跳ね返さない=見えないものになってしまうので、僕の作品は、最後には見えなくなることを目指すような変な自虐的な仕事をしているのかなと思います。でも結局見えなくなってしまったら制作が終わってしまうので、そこまで、もしかして行きそうなんだけれども、行かずにぎりぎりのところでウロウロしながらやって行きたいと思ってるんです。

・・・光を跳ね返さない=見えないものになってしまうというのは、作品は空間の一部を占め、有限の質量をもつ素粒子の集まりであるけれども、ある意味ミクロとマクロとが自己相似性を形作るフラクタルな要素もあるということですか。

ええ。先日のギャラリートークで話をしていて気がついたことなんですけれども、球体の作品が僕の目指す黒いものになったとしたら、より一層この立体感が無くなる筈なんです。僕はそれを目指しているんだけれども、どう考えてもこの物体は3次元にいるので、そのパラドックスを抱えることで、快楽を感じるというと大げさですけれども・・・。

・・・作品は一つの宇宙としてそこに存在しているということでしょうね。

一つだけ作品があるような「空間」で仕事が出来たらいいなと思いますね。ただ、展覧会ですから一つの作品だけ展示というのは難しいかもしませんけれど、逆にもっと雑多な場所、例えば渋谷のハチ公前に直径が5mぐらいの、染み込むような作品を置いてみたいですね。

・・・染み込むというニュアンスは、なんとなくわかります。作品を拝見していると、作品と対峙するというよりも、海の波が月の引力に惹かれていくような印象をもちますから・・・。

この作品をアトリエに面した歩道の側に置いておきましたら、そこは子供の通学路なんですが、子供達がとても興味を示したんです。四角い作品はそうでもなかったんですが、丸い球体というのは人を惹きつける力があるのかもしれないと思います。

・・・球体は2002年にも制作されていますよね。

もう少し小さい卵形だったりしますが制作していました。このタイプの仕事は、新しい次のステージかと言われることは多いんですけど、ずっと作り続けています。別に新境地というわけではありません。むしろ僕は次のステップをあまり考えていなくて、自身がやれることを成長させて行けたらいいなと思います。

〜25日まで。

  

(c)HIGUCHI TAKEHIKO